瞑想の効果を実感してみて下さい。

超越瞑想(TM)の方法や効果について詳しくご紹介します。

静寂のひととき……TM瞑想

瞑想で脳の潜在力を開発!

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サマーディはヨガの到達点ではなく、始まりです。
ニール・ディッキー

yoga-samadhi-2.jpg非常に多くの人々がヨガを趣味として始めています。ヨガの穏やかな動きは身体に優しく、楽しくてやりがいがあり、どの運動よりも効果的だからです。ヨガには心を落ち着かせる効果があることを多くの人が認めています。ゆったりとヨガの練習をし、身体を伸ばしたり、呼吸法を行うことで、忙しい日々の心配事から離れて、今という瞬間を楽しむことができます。

ヨガの姿勢を練習することは、とても楽しいことです。しかし、多くのヨガの実践者たちは、深い瞑想の体験を通して体と心と精神を統一することで、自分のヨガの実践をさらに深めることができるのではないかと感じています。そのため、ほとんどのヨガ教室で瞑想を勧めていますが、ヨガを習う人たちは、瞑想を始めることを先延ばしにする傾向があるようです。瞑想するためには強固な自制心とレーザー光のような集中力が必要で、自分にはそれが欠けていると感じているようです。

多くの人が瞑想は難しいと考える原因のひとつは、ヨガの8支則(パタンジャリのヨーガスートラで説明されているアシュタンガシステム)に対する誤った理解からやってきています。

ヨーガ・スートラの原文では、ヨガの8支則は次のような順番で示されています。

① 5つのヤマ(個人の道徳) アヒンサー(非暴力)、サティヤ(正直)など
② 5つのニヤマ(生活の規律) サウチャ(浄化)、スワーディヤーヤ(学ぶこと)など
③ プラーナヤーマ(呼吸法)
④ アーサナ(ヨガのポーズ)
⑤ ⑥ ⑦ 精神的な練習の3段階 プラティヤハーラ、ダーラナ、ディヤーナ(瞑想)
⑧ サマーディ 忙しく揺れ動く心と、最も深い静寂のレベル(大我)との統合。個々の波が落ち着いて無限の海を経験すること。

アシュタンガという言葉は、8つのステップや8つの段階ではなく8支則と訳されているにもかかわらず、多くの人がパタンジャリの意図を誤解してきました。サマーディを得るためには、1番目の個人の道徳から始めて、2番目の生活規律を実践し、最後に瞑想をするという順番で練習すべきだと考えてしまったのです。

Yoga-2.jpg約40年前、マハリシ・マヘーシュ・ヨーギーが世界中をまわって超越瞑想を教えたとき、ヨガの世界にセンセーションを巻き起こしました。彼が教えた瞑想法は、シンプルで簡単に習得でき、サマーディを直接体験できる方法です。マハリシは、ヨガの初心者も含めて興味のある人すべてに超越瞑想を教えました。その頃、ドイツで、ヨガの実践者たちがマハリシに会いに行き、ヨーガの8支則について質問しました。

マハリシは彼らを歓迎し、パタンジャリに敬意を表しながら説明を始めました。パタンジャリは長い時の経過のために誤って解釈され、パタンジャリの意図とは正反対に理解されてきた、とマハリシは説明しました。「ヨガの練習はヤマ(個人の道徳)、ニヤマ(生活の規律)の順番で行うと考えられてきましたが、しかし本当は、サマーディから始めるべきなのです。ヤマやニヤマなどの練習によって、サマーディに到達するわけではありません。サマーディの経験を繰り返すことによって初めて、道徳心が向上するのです」。つまり、道徳心や行動の向上がサマーディをもたらすのではなく、サマーディの体験こそが道徳心や行動の向上をもたらすのです。

例えば、意識の中ですべてのものが統一されているという体験によって、アヒンサー(非暴力)が成長します。この生命の一体感は、サマーディの状態で直接体験できるとマハリシは述べています。同様に、アスティヤ(無欲)は、充分に満足を感じているときにのみ到達できます。サマーディという至福意識の永遠の領域を繰り返し体験することによって、最も揺ぎない内なる幸福が自然にやってきて、アスティヤに到達できるのです。

至福意識とは、ヨガによってもたらされる、より高いレベルのことです。ヨガは統合という意味です。ヨガは、身体と心と呼吸の統合と定義されています。さらに高いレベルでは、動き回る心(小我)と宇宙の知性(大我)との統合を意味します。ヨーガスートラによると、この統合は非常に素晴らしい至福をもたらします。

瞑想を通して大我と一体になるという経験について、マハリシは、次のように説明しています。「その幸福の強さは、最高の強さをさらに越えたものです。この至福により、大きな悲しみも小さな悲しみも、あらゆる悲しみの可能性が消えてなくなります。太陽の輝く光の中には、どんな暗闇も入り込めません。どんな悲しみも至福意識の中には入り込めませんし、また、至福意識が至福意識以上のものを得ることもありません。この自足の状態により、人は自分自身の中に安定し、永遠の満足に満たされます。」(マハリシによるバガヴァッド・ギーターの翻訳と解説、6章20節より)

ではなぜ、人々はこの至福にあふれた自然な過程をなぜ難しいと考えたのでしょうか。パタンジャリは、ヨガを「心が完全に落ち着いた状態」(ヨーガスートラ、1.2)と定義しています。しかし、現在習うことのできる多くの瞑想法では、ある程度の集中や努力やコントロールを必要としているために、心が完全に落ち着くのを妨げています。これに対し、超越瞑想は何もしないという方法です。いかなる種類の試みも必要とせずに、瞑想者が簡単に内側に飛び込めるようにします。

簡単で努力のいらない瞑想は、啓発へと至るための「本物の瞑想」だと言えるでしょうか? 答えはイエスです。超越瞑想のシンプルさを誤解している人がいるかもしれませんが、超越瞑想は、本来の純粋な方法を復活させた瞑想法です。シンプルで簡単なのは自然だからです。つまり、心と体の基本的な性質と完全に調和しているので、効率が良いのです。自然は常に効率的です。例えば、自然のすべての動きは、最も少ない活動や努力を選びます。同じように、超越瞑想を努力なしに実践している人は、心の奥深くまで飛び込むことができるのです。

サマーディというヨーガの8支則の中で最も重要な領域を養うことで、ヨガという木全体に滋養を与えることができます。超越瞑想を日課にしているヨガの実践者たちは「超越瞑想を行うことで、深い静寂が得られ、ヨガの実践が楽しくなり、人生が喜びに満ちたものになる」と話しています。サマーディはヨガの初めに体験するものであり、ヨガの実践を至福に満ちたものにするために不可欠です。

2010.12.02 21:36 | TMニュース | トラックバック(0) | コメント(-) |

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