瞑想の効果を実感してみて下さい。

超越瞑想(TM)の方法や効果について詳しくご紹介します。

静寂のひととき……TM瞑想

瞑想で脳の潜在力を開発!

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瞑想中に体験する純粋意識は、神の恵みで満ちている湖のようです。瞑想して純粋意識に飛び込むことで、心は神の恵みで満たされます。そして、毎日の規則的な瞑想によって、神の恵みで満ちている湖との間に導水管を引くことができれば、私たちはいつでも神の恵みを受け取ることができるのです。そのことを説明したマハリシの言葉をご紹介しましょう。

                ☆ ★ ☆

神の恵みは全てに浸透しています。それは常に存在しています。しかし、私たちがそれを活用し始めないかぎり、それは私たちとともにありません。神の恵み、神の祝福、神からの助け、それはどこからも来ません。それはすでに存在しています。ちょうど空気と同じように、それはすでに存在しています。さて、それを吸うか吸わないかは、私たち次第です。吸わなければ、苦しくなってきます。吸えば、楽になります。

瞑想して内側に飛び込むことで、私たちは、心を神の恵みのあのレベルへと導き、それに完全に満たされます。私たちは自分自身をあの神の恵みと完全に結び付け、そして喜びます。大きな慈悲をもって、大きな愛情をもって、神はその恵みを私たちのために広げています。神の側からは、神はすでに与えています。私たちの側からは、それを受け取るのをためらうかぎり、それを受け取ることはできません。

神の恵みは満ちた湖のようです。水の満ちた大きな湖です。さて、水はそこにあります。農夫は誰でも、その水を自分の畑に引くことができます。しかしもし、導水管を水のレベルにまでつなげなければ、水はそのままです。水は満ちていて、いつでも流れる準備ができているのですが、ひとりでには流れません。導水管をつなげば水は自然に流れるのですが、導水管をつながなければ水は満ちたままです。

湖や海の水が満ちているのと同じように、神の恵みも満ちています。つながりを作る人たち、超越瞑想を通して導水管を引く人たちには、水は流れます。私たちがそうしなければ、水は満ちたままです。水は自分からは流れることができないのです。

何人くらいの人が、瞑想を始めてから、人生がよりよくなってきた、より美しくなってきたと感じていますか?(全員が手を挙げる) もう一つ、質問させてください。何人くらいの人が、それを維持するのは容易だと思っていますか?(大勢の手が挙がる) はい、これが神の慈悲深い本質です。神は、私たちがあまりたくさんのことをしなくてもよいように、私たちをお創りになりました。私たちは非常に容易に神の恵みを楽しんでいます。

私たちは経験から、人生をよりよくするのは容易であると知っています。私たちの心や体にまとわり付いていた苦しみや悲しみに終止符を打つのは容易なことです。導水管を引くために数分の時間を捧げて、人生でより自由になること、よりよくなることは、容易なことです。瞑想している間に、私たちは注意を粗雑から超越へと導きます。外側の粗雑な領域から、精妙な領域を通って、神の恵みの隠れたレベルである「存在」の超越的な状態まで、導水管を引くのです。
マハリシ

 ◇ ◆ ◇ 体験談 ◇ ◆ ◇

ただ、私であること
主婦、29歳、島根、TM歴4年

山奥の小さな神社の神主を代々務める家に生まれた私が、神道を本当に意識したのは、ごく最近になってからでした。小さな頃から、神様はとても身近で、生活の中に溶け込んだものであり、ことさらに意識したことがなかったのです。

朝起きると神棚には灯がともされ、お茶が供えられていて、二礼二拍手一拝の作法で神様にごあいさつをしてから朝食。炊きたてのごはんは、まずお供えしてからいただく。神棚は神聖な場所であり、ろうそくの灯を見ることで不思議と安心できました。

神社は子供の頃には格好の遊び場でしたし、大きくなってからは、一人でいる場所として私の中で大きな位置を占めていました。樹々たちに囲まれた、境内のもつ独特の安らぎと静けさのしんとした空間で、一人の時間を過ごすことで、自分を見つめ直し、大きな存在とつながりながら、気が付かずにいた疲れを癒していたのだと思うのです。

短大を卒業してから、巫女として、山陰の小京都といわれている津和野の神社に5年間勤めました。巫女装束を身につけて、御神前で巫女舞を奉納し、四季折々の行事や結婚式などに携わるうちに、日本古来の宗教である神道が人々の生活に、深く根ざしたものであり、大らかな明るさに満ちた宗教であることを肌で感じることができました。

巫女は、結婚すると退職する習慣になっていますし、28歳が定年とも言われていました。結婚が決まり、社家の家からも神社からも離れてしまうことで、今まで身近な存在であった神様が、ふっと遠ざかってしまうような不安な気持ちを埋めてくれる「何か」を探していたとき、TMに巡り会いました。

結婚式の一週間前に、一番近い福岡のセンターまで新幹線で通ったのですが、私には一番持って行きたい必要な花嫁道具でした。TMを始めて「理想の自分になりたい」という、私の唯一の美点だと信じていた向上心も、いつか気負いとなってしまって、今の自分を認め、愛していないことに気が付き、ずいぶん楽になりました。私は、ただ私であればよかったのです。

「自分の望む状態へは、岸にしがみつくようなことをしなくても、手を離して、ただ流れを楽しんで、宇宙に愛されていることを信頼していれば、自然にたどり着くことができるのです。」この言葉は、今の私の内に、柔らかく溶け込んでいます。

TMを勧めるとき、TMという言葉が耳慣れないせいか、新興宗教と混合されがちなことがありました。私はTMが、自分がより豊かで幸福になれる、科学的に裏付けされたとても自然なテクニックであることを、ひとしきり話した後で、雑巾の話をすることにしています。

人間は綿100%の真白い布と同じで、毎日の生活の汚れを拭き取り、それを眠りというバケツの中で落としますが、少しずつ汚れは繊維に染み込んでしまう。睡眠だけでは取れない疲れがたまっていくように……。それで私は、自分という一枚きりしかない布を、バケツの水で洗った後に、もう一度水道の新しい水で洗うことにした。つまりそれがTM。毎日きれいな水で洗うことで、1年後の布の白さは、きっと驚くほどに違うはずだと。

神道の祝詞の中に、「諸々の枉事罪穢れを拂ひ賜へ清め賜へと(もろもろのまがごと つみ けがれを はらひたまへ きよめたまへ)」という一節があります。常に自分を浄化するという大切な作業を、神社で過ごす安らぎの時間に変えて、私は20分のTM瞑想で行っています。それは私の祈りの時でもあるのかも知れません。

昨年の夏に女の子を出産し、母親になりました。いつもよい状態の自分で子供に接していたい。そのためにも、TMを100%実習していきたいと、そう思っています。

1998.10.02 22:31 | TM効果&体験談 | トラックバック(0) | コメント(-) |

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