瞑想の効果を実感してみて下さい。

超越瞑想(TM)の方法や効果について詳しくご紹介します。

静寂のひととき……TM瞑想

瞑想で脳の潜在力を開発!

上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。
--.--.-- --:-- | スポンサー広告 | トラックバック(-) | コメント(-) |
picsa32.jpg

マハリシ
聖者の谷を出る


 超越瞑想の運動は、グル・デヴの至福に満ちた無限の静寂から始まりました。グル・デヴは、マハリシの先生として、またヴェーダの英知の具現者として、親しまれ尊敬されています。教師から生徒へと、生命の永遠の英知を伝えてきた、ヴェーダの代々の先生方の偉大な伝統の中で、マハリシにもっとも近い方です。

 マハリシは、一途にグル・デヴに仕え、グル・デヴに体現された無限の静寂と、純粋で完全な英知に浴して、十三年間を過ごしました。そして一九五三年に、ヒマラヤ山中深く、ウッタルカーシの「聖者の谷」に引きこもりました。二年後の一九五五年、マハリシの静寂の海は、一つのかすかな思いをもって動き始めました。マハリシはこの体験について次のように述べています。

 当時、ウッタルカーシに九十歳になる聖者がいました。長い間、厳格な修行をしてきた立派な聖者です。独身者で、髪が長く、数十センチも地面を引きずるほどでした。背が非常に高く、二メートル近くもあります。その聖者はときどき私の居る所へやってきました。そして、私はその聖者と大変親しくなりました。私たち二人の間には親密な感じがありました。

 ある日のこと、私はその聖者に言いました。
「ラメシュヴァラムに行きたいと思うのですが」
 ラメシュヴァラムとは、南インドにあるシヴァ神を祭った寺院です。返答はありませんでした。ウッタルカーシに住んでいる者の間には、ウッタルカーシを越えて南へ下れば、泥があるばかりだという共通の思いが暗黙のうちにありました。

 時折、その聖者はやってきました。そしてある日、髪をすっかり剃ってやって来ました。
「一体どうなされたのですか」
「長い髪も所有物だと気がつきました。以前から重いと思っていたのですが、それで切ってしまいました」
「長い髪はお似合いでしたのに。髪の重さは自然なものですから、切ってしまったら、軽すぎて変な感じがするでしょう」

 その後で、私たちはガンジス川に向かって一緒に座りました。二時間くらい、ほとんど何も話さず黙って座っておりました。ときどき短い言葉を二言三言、交わしたくらいです。何も話すことはありませんでした。世間のことは私たちの関心ではありませんし、計画を立てて何かを始めようということもありません。ただ、「ここに来てお座りください」と言うだけです。私がまた「ラメシュヴァラムに行きたいと思うのですが」と言ったときも、その聖者は何も聞こえなかったかのように黙っていました。その後、二、三週間たって、またラメシュヴァラムへ行きたいという思いがやってきたので、それを話しました。

 七カ月から八カ月がそのようにして過ぎました。そして私は聖者に次のように言いました。
「最近、毎日のようにラメシュヴァラムへ行きたいという思いがやってきます。この思いをどうしたらよいかわかりません。私はこのとおり完全に隠遁者の生活をしています。この思いをどうしたものでしょうか」
 するとその聖者は、ウッタルカーシの谷に住む聖者たちの習慣を私がまだ知らないのだろうと考え、私にこう話してくれました。
「ウッタルカーシは、二本の川によって境が作られている。当地の聖者たちは、そこから向こうのことは考えようともしない。ただ泥があるだけだから。それについては私たちは考えないことにしている」
 ウッタルカーシから一歩出ることさえもそのように考えているのですから、インド大陸を北から南へと横断してラメシュバラムへ行くことなど、もってのほかということになります。

 ラメシュヴァラムは、巡礼の地として有名なところです。インドの人々にとって、巡礼の地を訪れることは喜びであり、また誇りでもあります。ですから、どこかの寺院に行きたいと思ったとしても、それは誰もが抱く普通の思いなのです。とはいえ、もし誰かに何の目的で行くのかと問われても、私の心の中にはまったく何の答えもありませんでした。他の考えは何もなく、ただラメシュヴァラムという思いだけがあったのです。

 二、三週間後、またそのことを話すと、聖者は次のように答えました。
「随分長い間、同じことを考えているようだね。その考えを捨てたらどうだろう。つまり、そこへ行って帰って来て、もう二度とそのことについて考えないようにしたらどうだろう」

 聖者はそのように答えてくれたのですが、ラメシュヴァラムという思いを捨てるために行って帰って来るというのには、どうも納得できませんでした。しかし、とにかく、その聖者は私の心の中に何度も何度も浮かんできた、ラメシュヴァラムへ行きたいという思いに答えてくれたのです。

picsa34.jpg

初めての講演会

 この思いを胸に、マハリシはウッタルカーシを出て、南インドの聖都ラメシュヴァラムへ向かいました。到着して数週間、マハリシはその地の神聖な寺院をあちこちと参拝して歩きました。そして、カニヤクマーリ(大聖母)の有名な寺院を訪れたとき、ギーターに説かれている生命の永遠の英知、ヒマラヤの祝福を南インドの人々に与えようというインスピレーションがやってきました。

 マハリシはその後、再び北へ旅をしてケーララ州のクルヴァユール・クリシュナの寺院を参拝しました。人々にこの英知を与えようというインスピレーションがここでもまたやってきました。
 後に、マハリシは次のように回想しています。

 ヒマラヤから来た私の心の中に、鮮明な思いが一つありました。それは、「人は苦しまなくてもよい」というものです。インドのどの文献も、人間を賞賛する言葉で満ちています。ヴェーダは、「これすべては至福である。私は至福であり、無限であり、際限がなく、永遠であり、不変である」といっています。

 しかし、人々の日常生活のどこにこのような真理があるのでしょうか。現実の生活の中では生命は全く悲惨な状態であり、文献中に賛美されている生命の状態とはあまりにも違い過ぎています。個々人が普遍性と不死のレベルに至るのは、きわめて簡単なことです。このような真理と現実の食い違いに、私は大きく心を動かされました。

「人々が苦しむことのないように、何かがなされなくてはならない」
 私の心の奥深くに、このような思いが浮かんできたのは当然のことといえるでしょう。

 マハリシは、この思いを実際に口に出しては言いませんでしたが、それは自然に実現されることとなりました。そのときの出来事を、マハリシは次のように語っています。

 私は今でもよく覚えています。三週間ほど後、かすかな思いがやってきました。夕方のもく浴から帰る途中、非常にかすかな思いが浮かんできました。大変奇妙な感じの思いではありましたが、また大変柔らかく、優しい思いであり、自然に浮かんできた思いでした。
「さあ私は帰らなくてはいけない。しかし、帰る前にヒマラヤの祝福をこの地域の人たちに与えないのはよくないのではないだろうか」

 その祝福がどのような形のもので、どんな意味をもつのかといったことはまったく考えませんでした。「帰る前にこの地域の人たちにヒマラヤの祝福を与えたらどうだろう」というかすかな思いだけがあったのです。

picsa25.jpg

 それから三、四日のうちに、そこから一番近い町に行きました。ウッタルカーシへ向かって帰りの旅を始めたのです。一番近い町に行き、夜中に到着しました。インドでは、あちこちからやって来る聖者をもてなすのが習慣です。その町でも一人の人が私をもてなしてくれて、ある所に私を泊めてくれました。

 翌朝、町の寺院がどこにあるかを教えてもらいました。早朝五時、私は寺院に向かって通りを歩いておりました。いつも歩くときは人に案内してもらったりせずに、自分一人で歩くことにしていました。

 寺院の近くまで来たとき、だれかが後ろからついて来るのに気が付きました。寺院のすぐ近くで、その人は私の前に進みでて言いました。
「あなたは話しますか」
「はい、話します。しかし、それは講演をするかという意味ですか。私は講演はしません」
「北から来られたようですが」
「はい」
「どこにお泊まりですか」
 私は、自分が泊まっているところがなんという所か知りませんでした。代わりに目印をいくつか教えました。

 その日の午後三時頃、だれかが部屋のドアをノックしました。その音を聞いて私は驚きました。
「いったいだれだろう」
 それはあの人だったのです。私はドアを開けました。
「あなたの講演会を七回行う準備ができました」

 私は講演することはまったく考えていませんでした。その人は私の返答を待たずに続けて言いました。
「何についてお話しになりますか。七つの演題を教えてください。前もって発表しておかなくてはならないのです。七回の講演は一週間のプログラムになります」

 事の成り行きはまったく奇妙なものでした。まったく思いがけないことから始まったのです。その人は、私が講演するのにふさわしい場所があると言って、その町の図書館の名前を教えてくれました。私はそれがどこにあるか知りませんでしたが、彼は、「町のまん中にあるのです」とうれしそうに言います。それで、私は彼の言うとおりにすることにしました。ことは一歩一歩、非常に自然に流れていきました。

「講演をすることになるとは思ってもいませんでした。どんな話をしたらよろしいですか」
「どんなことでもかまいません。何か話してくださればいいのです」
 私は、何を話すか細かくは考えずに、思いつくまま七つの演題を言いました。とにかくこれとこれとこれとを話すのがいいだろうと思い選んだのです。講演を行うのは私にとって初めてのことでした。その人は演題を書き留めて帰ろうとしました。
「私にもメモをください」と言うと、彼はメモを書いて私に渡し帰っていきました。そのようないきさつから、私は図書館で、あちこちから集まって来た人たちに講演をすることになったのです。

 最後の七日目の講演が終わった後、その図書館の館長が私のところに来ました。彼は普段は講演会を聴きに行かないことにしているが、私の講演には大変興味をもったと言いました。彼は講演の会場には来ずに事務所にいたのですが、仕事の手を休めて私の話を聴いていたのです。十五種類もの言葉を話す、大変賢い人でした。彼は若い頃、何度か講演を聴きに行きましたが、しかしそのたびに、講演者が話す内容と、その人の実際の行動とが食い違っていることに気付きました。それで彼は講演会には行かないことにしていたわけです。
「私の話を楽しんでいただいて、ありがとうございます」と私は言いました。

 新聞がこの講演のことを取り上げました。七日間の講演が全部終わった後に知ったのですが、最初の日から大きく取り上げて報道してくれていたのです。聴衆は日ごとに膨れ上がりました。しかし、私はまったく何も気に留めませんでした。ヒマラヤへ帰る前に少し時間をつぶしているだけだ、というぐらいに考えていたのです。

 すべてが、段階を追って静かに自動的に進んでいきました。ちょうど河の水が流れるように、流れようとする努力は必要ありませんでした。水が自然に流れるための傾斜が、すでにありました。生命の流れは努力のいらないものです。

 このように自然発生的に起こった講演会の後も、マハリシはケーララ州に留まりました。バリスター・メノンという著名な法律家が、マハリシを町から町へと案内し、会合や講演会を開いたのです。マハリシはケーララ州のあちこちで超越瞑想を教えました。超越意識の体験を与え、人々の心を満たしました。

 どこへ行ってもマハリシの教えは同じです。人生で当然と思われている苦しみや悲しみは、必要のないものです。生命の本質は至福です。努力のいらない超越瞑想という方法によって、誰でも無限の至福意識を体験することができ、それを毎日の生活の中に統合することができるのです。

picsd10.jpg

世界的な運動の始まり

 その後、マハリシはケーララ州をたち、二年間インド各地を旅しました。その間、多くの都市で精神開発のための集会を開きました。各地で、何百人、何千人もの人が集まって来てマハリシの英知を聴き、超越瞑想の方法を学びました。あまりにも多くの人がこの貴重な知識を求めてやって来たために、あちこちの都市で滞在の予定を延期したこともしばしばでした。

 一九五七年の年末のことです。グル・デヴを慕う人たちが、グル・デヴの八十九回目の誕生日をお祝いしたいとマハリシに提案しました。マハリシはこれに応えて、精神的指導者たちの大きなセミナーを開くことになりました。グル・デヴの弟子たちや、インド各地の聖者たちが集まってきました。また、これらの啓発を得た人々の集まりから祝福を受けようと、一万人余りの一般の人々も集まって来ました。マハリシはこの時のことを次のように語っています。

 セミナーの三日間に、私はそれまでの二年間にインド各地で経験してきたことを話しました。超越瞑想は大変シンプルなものです。しかし、このシンプルな方法が、インドの各地で多大な効果を生み出すということがわかりました。それぞれの地方には、実にさまざまな生活の仕方があります。地域ごとに異なる文化をもつこの国で、このように広範な効果を生み出すことができました。ですから、この方法を用いれば全世界をも精神的に復活させることができるはずです。私はこう思って、この思いをそのまま話してみました。そうしたら盛大な拍手が起こり、二分、三分と鳴りやみませんでした。野外の夕方の集会に集まった一万人から一万五千人の人たちが拍手をしてくれました。それまでの2年間を振り返ったときに「全世界を精神的に復活させる」という言葉がまったく自然に出てきたのです。

 拍手がまだ続いている間に、私はセミナーを企画してくれた人に言いました。
「この集会をもう一日延ばすことはできませんか」
「会の運営のことは心配しないでください。どうぞお話しになりたいことをお続けになってください」

 拍手がやんだ時、私は言いました。「みなさんの拍手は、この瞑想法により世界を精神的に復活させようという私の思いに対する母なる自然の返答のようです。明日の夕方には世界的な運動を始めましょう。明日、ここで精神復活運動を発足させましょう」

 するとまた盛大な拍手が起こり五分ほど続きました。会場全体に楽しい雰囲気がみなぎっていました。「精神復活運動」という思いにより一人ひとりの心が活性化されたかのように、みんなの気持ちが急に高揚しました。

 会を組織してくれた人たちに囲まれて帰る途中、彼らは私に言いました。
「こういうことを考えておられると初めからおっしゃっていただけたら、もっと大きな会を組織しました」
「実は私自身、今まで考えてもみませんでした。集会に参加した人々の反応から自然にこうなったのです。みんながこれまでずっと心の中で思っていたことを、私が声に出して言ったに過ぎません」
 この運動はこのようにして始まったのです。(TM運動30年史より)













管理者にだけ表示

トラックバックURL↓
http://tmsite.blog40.fc2.com/tb.php/21-ee39371a

上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。