瞑想の効果を実感してみて下さい。

超越瞑想(TM)の方法や効果について詳しくご紹介します。

静寂のひととき……TM瞑想

瞑想で脳の潜在力を開発!

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瞑想し、そして行動する
「瞑想してください。そして、活動しているときは瞑想のことは忘れてください」
1970年代前半にマハリシが行った超越瞑想に関する講演からの抜粋

超越瞑想では、活動を最小にすること、活動を最小にすることが必要になります。確かに、活動を最小にするというこの原則は、活動の原則と正反対です。活動を最小にすることは、要するに、活動のための弾みをつけるということです。しかし、瞑想と活動に関する限り、それらは2つの異なった原則です。

行動するためには、私たちは手を上げなければなりません。瞑想するためには、私たちは目さえも閉じます。手を上げる必要はありません。ですから、瞑想の原則は活動を最小にすることであり、そして、日常生活の原則は活動へと飛び込むことです。

それらの間にはどのような関係があるのでしょうか? バガヴァッド・ギーターには、「ヨーガスタハ・クル・カルマーニ」という、とても素晴らしい表現があります。これほど素晴らしい表現は、世界中のどの文献の中にも見いだすことができません。「ヨーガスタハ・クル・カルマーニ」

行動の哲学全体が2つの言葉で要約されています。「ヨーガスタハ」とは、「超越せよ」という意味です。「クル・カルマーニ」とは、「行動せよ」という意味です。超越し、そして、行動せよ。これはつまり、「存在」に確立されているときに行動せよ、ということです。これが行動の実用的な公式です。「存在」に確立されているときに行動せよ。

そして、この2つの言葉が続いていることについて考慮してください。最初の言葉は、「ヨーガスタハ」、すなわち「存在に確立されて」です。次の言葉は、「行動せよ」です。瞑想し、そして行動するということです。矢を引きしぼり、そして射るということです。

まさしく、矢を引きしぼり、そして射る、ということです。矢を射るテクニックは、矢を後ろに引くということです。私たちはこちら側に引きます。そしてあちら側に射ます。矢を引くという原則は、矢を射るという原則とは正反対です。引くのと射るのは2つの異なった原則ですが、一方の原則がもう一方の原則の効果を高めています。日常生活では行動しますが、いつ、どのように、行動するべきでしょうか? 「存在」に確立され、そして行動してください。

超越瞑想は休息のためのものであり、日常生活は活動に基づいていますが、先に述べたようにに、超越瞑想は日常生活で成功するための基盤となります。あなたは昼間は活動し、そして、瞑想中に休息をとります。

活動の領域で休息の原則を無理矢理当てはめようとすれば、私たちは困難を感じるでしょう。超越瞑想の原則を日常生活の原則に関係させることはできません。なぜなら、活動と休息とは異なるレベルにあるからです。

休息は行動の基盤であっても、休息の原則と行動の原則とは異なります。行動の原則全体は休息の原則に基づいていますが、この2つは反対のものです。

ビルの基礎工事をするとき、私たちは地面を深く掘ります。地面を深く掘る目的は、地面の上に高いビルを建てることです。6階建てのビルを建てたい場合、最初になすべきことは、地面を2~3階くらいの深さに掘ることです。

矢を引きしぼり、そして射ってください。瞑想し、そして行動してください。

超越瞑想について私たちが教えていることは、とても明確です。私たちはこう言っています。瞑想してください。そして、人生の活動をしているときには瞑想のことは忘れてください。瞑想のことは決して考えないでください。決してそこで立ち止まらないでください。オフィスで働いているときには、瞑想の体験についてあれこれ考えないようにしてください。それではよい結果は得られません。私たちは、ただ瞑想し、そして瞑想のことを忘れます。活動に飛び込んでください。

それはちょうど、私たちが入浴をすると、どんなふうに入浴したかを覚えていなくても、1日中新鮮な気持ちでいられるのと同じです。新鮮な気持ちになるために、入浴の効果を感じるために、私たちは、どんなふうに入浴したか、どのくらい冷たかったか、熱かったかを覚えている必要はありません。入浴したという記憶は、1日中新鮮な気持ちでいるための助けにはなりません。私たちは入浴しました。それで十分です。私たちは、入浴したかどうかをすっかり忘れてしまったとしても、入浴の効果を楽しむことができます。

ですから私たちは、瞑想をし、瞑想のことは忘れ、行動へと飛び込みます。瞑想の影響や効果は、自動的に私たちにとどまります。私たちがそれを自然なプロセスと言っているのは、そういう理由です。瞑想は、私たちの心理学的な理解や情緒的な感情に基づくものではありません。超越瞑想の効果は本物です。

だからこそ、瞑想中に生じる生理学的な変化を調査したあらゆる科学的実験では、いつ行っても、だれが行っても、検証可能なデータが得られるのです。そのすべてが本物だからです。

そのようなわけで、私たちが超越瞑想について話すときには、活動を止めることについて話し、そして、人生での行動について話すときには、静寂ではなく活動について話すのです。

超越瞑想は日常生活で欠かすことのできないものですが、要する時間は15分か20分で十分であり、私たちが食卓で30分費やすようなものです。食事は日常生活の一部ですが、私たちは、いつも食べ物のことを考えているわけではありません。食卓についているときに30分か、20分か、15分くらい食べ物のことを考え、それで終わりです。

私たちは食べ物がないと何もできません。行動の哲学全体は食べ物に依存しています。しかし、食べ物の哲学は自己完結しています。食べ物の哲学は、外へ出て何かをするという哲学と同じではありません。

それとちょうど同じように、超越瞑想にはそれ自体の哲学、それ自体の利益があり、行動の領域はそれとは別の領域です。超越瞑想は朝と夕にわずか20分ずつ行う仕事です。20分、ただそれだけです。

超越瞑想が私たちの日常生活のあらゆる面に影響を及ぼすというのは本当ですが、私たちは、それについては心配しないで、私たちの人生のあらゆる面に影響が及ぶままにしておけばよいのです。そうすれば自動的に効果がもたらされます。












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