瞑想の効果を実感してみて下さい。

超越瞑想(TM)の方法や効果について詳しくご紹介します。

静寂のひととき……TM瞑想

瞑想で脳の潜在力を開発!

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今回は、悟りへと成長するその方法について質問した「マハリシへのインタビュー」をご紹介いたします。
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マハリシ 超越瞑想テクニックのゴールは、悟りの状態です。これは、躍動的に忙しいときにも、内側の落ち着きを、あの静かな純粋意識を、経験しているということです。

質問者 しかし、活動と静寂は反対のことのように思われます。TMテクニックの平和な効果を楽しむためには、座って目を閉じる必要があるのではないでしょうか。

マハリシ 心のあの静かなレベル、あの純粋意識の状態を経験するために瞑想しなければならないのは、瞑想を始めた最初のうちだけです。瞑想の経験と日々の活動を交互に続けていくと、あの純粋意識の価値が心の中に浸透してきます。私たちの自覚の中に、意識の純粋なレベルが定着してきます。

 そして、意識の純粋なレベルが、日々の活動の最中においても実際の現実となるとき、これが悟りの状態です。これは、苦しみのない人生です。あらゆる想念と行動が自発的に正しいという人生です。

質問者 しかし、心はどうして、二つの異なる状態を経験できるのでしょうか。

マハリシ 問題はこうです。心はどうして、活動的であると同時に静かでもあることができるのか? 人はどうして、活発な活動のさなかにも純粋意識を保つことができるのか?

 私たちが気付くのは、生命の内側の価値の100パーセントと、外側の価値100パーセントを生きるのは、神経系の自然な能力であるということです。ただ、ストレスや緊張があるために、神経系のこの正常な働きが妨げられてしまうのです。

質問者 では、悟りの状態を経験するためには、ストレスを解消する必要があるのですね。

マハリシ そうです。そして、それは人生にたいへん実際的な価値をもたらします。私たちが疲れている場合には、ストレスがいっぱいの場合には、人生の全価値がたいへん少なくなってしまう、というのが私たちの日常の経験です。

 夜、あまりよく休めなかったときの朝のことを考えてみてください。そんなときには、意識がもうろうとしていて、なにもかもが鈍く、不活発になってしまいます。世界はいつもと変わらないのですが、世界を評価する私たちの能力はずっと小さくなっています。

 しかし、私たちには、深く根ざした疲労やストレスさえも解消する、超越瞑想テクニックという自然で効果的な方法があります。これが生命の全価値を開発する方法です。

 瞑想を始めた最初のころから、視野が以前よりも開けてきたようだとか、心が以前よりも少し明せきになってきたようだとか、そのようなことに気付きます。友人に対する感じ方も、より調和的になってきます。

 そして、瞑想の実践を毎日続けていくと、ストレスがまったくない人生を生き始めるときがやってきます。私たちは心から全てのストレスや緊張を洗い落として、意識的な心がその純粋な価値の中に完全に自由でいられるようにしてやります。(続き)

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質問者 ストレスを解消すれば、悟りへの進化は自動的になるということでしょうか。

マハリシ そうです。ストレスがまったくなくなったときには、人生を評価する能力がたいへん大きくなります。そうすると、あらゆる知覚、あらゆる想念、あらゆる行動、あらゆる感情の価値が、あの純粋な自覚の全価値によって支援されるようになります。これが悟りです。それは、市場にいるときにも銀行とのつながりを維持できるという能力に似ています。

質問者 銀行とのつながりを維持できる--その例え話をもう少し詳しく話していただけますか。

マハリシ あの純粋な自覚、あの至福意識を維持していることは、大きな富をもっていることに例えられます。もし、銀行に大きな富をもっていることに気付いていなければ、そして、ポケットに五ドルしかなかったならば、そのときには、バラを買うのに一ドル使ったとしても、多少の痛みを心に感じることでしょう。その人はこう言うでしょう。「ああ、このバラはとても美しい。でも、ポケットにはあと四ドルしか残っていない」。心に多少の痛みがあります。しかし、銀行に預けてある大きな富に自覚が開かれている場合には、バラに一ドルを使ったとしても、その人が経験するのは、バラを手に入れた喜びだけです。そこには痛みはありません。

 これが、悟りの状態における経験です。あの静寂と至福の純粋な状態が[意識]のレベルに定着したときには、あらゆる活動が、あの平安と喜ばしさによって、支えられるようになります。あらゆる活動が、人生の充満性の表現となります。(続き)

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質問者 超越瞑想の実践によって、純粋意識の状態が日々の活動と同時に経験されるようになるとのことですが、どうして心は、瞑想をしていないときでさえも永続的にこの純粋な状態を維持できるのでしょうか。

マハリシ 私たちが気付くことは、このような能力は、体と神経系の状態に依存しているということです。先ほど、心と体はいっしょに働くと言いました。これは、どの意識状態においても言えることです。

 例えば、体が疲れているときには、心はあまり効率的には働きません。そのために、心は鈍さや一貫性のない考えを経験します。そして、それから、眠りの意識状態になります。また、別のタイプの生理活動があるときには、夢を経験しています。夢の意識状態です。また、もう一つの異なるタイプの体の活動があるときには、目覚めの状態がやってきます。

 目覚め、眠り、夢、これら三つの意識状態には、いずれも、それに対応する生理の活動スタイルがあります。心と体はいつもいっしょに働いています。それと同じように、超越瞑想テクニックは、それ特有の生理スタイルを生み出します。その独特の体の活動スタイルのために、心は超越意識という四番目の意識状態を経験するのです。超越意識を経験するときには、神経系は特定の機能スタイルをとることになります。瞑想を繰り返していくと、神経系は、ますます、その新しいスタイルで機能するように促されます。それは生命の本性です。何かがいっそう心を満たすものであると、生命はそちらの方へと進んでいきます。

質問者 そのような機能の仕方に、神経系が慣れてくるのですね。

マハリシ それが神経系の習慣になってきます。純粋意識の経験は、このようにして、心の意識的な思考のレベルにまで浸透してきます。

 それは布を染めるときの原理に似ています。私たちは白い布をとって、それを黄色い染料の中に浸し、それから日光にさらします。日光にさらすと色はしだいに消えていきますが、完全にはなくなりません。もう一度、染料に浸して日光にさらすと、色がもっと残るようになります。

 ちょうどそのようにして、私たちは朝夕、瞑想して、心をあの純粋意識の中に浸して、それから、それを行動にさらします。行動の中で、純粋意識の価値はしだいに消えていきますが、完全にはなくなりません。瞑想と行動、これが、あの純粋意識を定着させる方法です。

 物質的な神経系をこのように徐々に、系統的に洗練させていくことによって、二つの意識状態が同時に共存するような生理的状況が創り出されます。そして、一たび、それが成されたならば、それは永遠に成されたことになります。一たび、布に色が定着したら、布はもう色あせることはありません。(続き)

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質問者 物質的な神経系を徐々に洗練させていくことによって、二つの意識状態が同時に共存するような生理状態が創り出されるということですが、そのときには、目覚めの意識状態で機能している最中でも、純粋意識の状態に接触していることができるのですね。

マハリシ 眠りの状態でも、夢の状態でも、それができるようになります。ここに、あらゆる人のための永遠の自由があります。それは、ポケットにいつも銀行の富が全部入っているようなものです。心の表面には、絶えず変化している価値があります。また、奥深くには、まったく変化しない、安定した心の状態があります。

 そして、こうしたことは、ただの空想的な考えにあるのでなく、あの意識の純粋な状態を永続的に維持できるように生理を変換していくことにあるのです。研究が示すところによると、超越瞑想テクニックでは、瞑想を始めた最初の日から、こうした方向への進歩が始まります。内側の安定性が増し、それと同時に、環境への適応力も増すということを、多くの研究が示しています。ストレスに満ちた刺激のもとにあっても、神経系は安定性を増してきます。

 こうしたことから私たちが気付くことは、足を地面にしっかりと着けていられるようになってきた、ということです。私たちは安定性を見いだしています。私たちは、私たち自身の内側に、より大きな満足を見いだしています。私たちは意識のあの純粋なレベルの成長を経験しているのです。

質問者 そして、こうした成長を経験するためには、ただ瞑想をすればよいというのですね。

マハリシ 大切なのは、超越瞑想テクニックと日々の活動を交互に繰り返すことです。休息と活動、これが、悟りへと成長する方法です。これが、苦しみのない人生を生きる方法、至福意識の中で人生を生きる方法です。

 今では、こうした知識があるのですから、全ての人が人生をその全潜在力において楽しめないという理由は、何もありません。偉大な、成功に満ちた、躍動的な活動のただ中でも、揺るぎない平安と喜びを経験できないという理由は、何もありません。(終わり)

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「存在」が定着する過程

超越瞑想を始めて最初のうち、心は飛び込むとすぐに出てきます。飛び込んだかと思うとすぐに出てきます。入っては出て、何回か、飛び込んでいって出てきてということを繰り返していきます。それによって起こることは、表面に出てきているときにも、奥底にある究極状態が生きられるようになるということです。

私たちが飛び込んでは出てくるということを繰り返すのは、このためです。心が想念の源に到達するとき、「存在」に到達するとき、そして心が入っていっては出てくるということを繰り返すとき、純粋意識の至福が心の本性に付着して出てきます。

それは、白い布を黄色の染料の中につけるときのようです。布は染料につけたら出します。染料につけるたびに、少しずつ、少しずつ、次第に色が着いてきます。私たちは何をするでしょうか。もし染色の技術を知っている人ならば、布を染料につけたあと、それを日にさらします。日にさらして色をできるだけあせさせて、それからまた染料につけて、また日にさらします。

つまり、布に二つの反対の過程を与えるのです。一つは色を吸収する過程であり、もう一つは色があせる過程です。染料にひたすと色が吸収され、日にさらすと色があせます。このような二つの反対の過程が一緒に働いて、色が定着することとなります。そして色が定着し、もう決して落ちないときがやってきます。

そのように、心は内深くに入っていきます。心は純粋意識になります。それは波のようです。水面で動いていた波が静まり始めます。波は次第に静まっていって、平坦になります。動きのない海の水面となります。波は海となります。動きのない、静かな表面には、波の痕跡もありません。波は海となります。

別の波がやってくると、海はうねり上がって波となります。波は個別性を得て、それからまた静まります。波は再び限りない海となります。

そのように個人の心は、超越的な純粋意識の状態、「存在」のなかに入っていって、そして、その「存在」そのものとなります。それは限りない、永遠なる「存在」となります。それは純粋意識となります。それは至福意識となります。

そして、その場の本性である至福意識、安定性、「存在」の普遍性、こういった性質のすべてが、いくらか心の本性に付着してきます。

心が活動の領域のなかで活動に従事すると、それらの性質の大部分はなくなってしまいます。蒸発してしまいます。そしてまた戻ってきます。心はまたそれらの性質で満たされ、活動の場に出ていき、それをまた失います。

このように行ったり来たりします。心を活動のなかに出し、心を瞑想のなかに入れます。心を純粋意識の状態へと導き、それから再び活動の場へと導くのです。続く(「聖なる意識の目覚め」より)
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二つの意識の共存状態

5分だけ銀行にいて、あとは一日中、市場にいます。このくらいの割合でいいのです。私たちは一日中瞑想しているのではありません。私たちは瞑想から出てきて、そのすっかりさわやかになった状態で活動に従事します。たくさんの活動を行います。そして、夕方になるとまた戻ってきます。夕方にまた何回か内側に飛び込んで、それから夜の間、また瞑想から出てきます。

これは神経系を養うためです。神経系を活動から退かせて、「存在」すなわち純粋意識を生み出すあの「安らぎに満ちた機敏さ」の状態のなかで完全な休息を与えます。それから、また神経系を活動にさらすのです。

活動から最小の活動へとこのように行き来することによって、神経系は、すばやく目覚めの状態に移動したり、すばやく純粋意識の状態に移動したりする習慣を獲得します。

このように物質的な構造をすばやく変化させることによって、神経系は、それが目覚めの意識状態を反映しているときにも、それと同時に、純粋意識をも反映し続ける、という能力を得るようになります。

こうして、二つの意識状態が同時に反映されるようになります。人は、目覚めていても、夢を見ていても、眠っていても、至福意識を持続的に生きるようになります。

深い眠りの状態にあるときにも、内側ではっきりと目覚めています。体も心も、すべてが完全に休息しています。深い休息です。体は完全に休んでいます。しかし、内側では完全に目覚めているようになるのです。

活動しているときには、活発な活動に従事しているのですが、至福意識という揺るぎない基盤をもつようになります。

人は目覚めの意識と純粋意識という二つの意識状態を同時に生き始めます。これは「宇宙意識」と呼ばれています。

この宇宙意識の状態にも、それに対応する神経系の状態があります。その状態では、神経系は純粋意識を失いません。至福意識の中の、あの「安らぎに満ちた機敏さ」を失うことがありません。

神経系は、目覚めの状態で活動の領域に関わっているときにも、夢を見ている状態で錯覚的な経験の活動に関わっているときにも深い眠りの受身的な状態に関わっているときにも、至福意識を反映するあの「安らぎに満ちた機敏さ」を失うことがありません。

神経系は、相対的な意識状態のどのような状態にさらされようとも、至福意識の絶対的な状態を維持するようになるのです。

人が目覚め、夢、眠りのどの相対意識にあろうとも、神経系は至福意識を反映する「安らぎに満ちた機敏さ」に永遠に確立されています。このような生命の状態が、宇宙意識と呼ばれる状態です。宇宙的(コズミック)とは、すべてを含んでいるという意味です。この場合、すべてを含んでいるとは、相対的な意識状態と絶対的な意識状態の両方を含んでいるということです。三つの相対的意識と一つの絶対的意識が一緒になった状態、これが宇宙意識です。続く(「聖なる意識の目覚め」より)
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人生の確固たる地位を確立する

さて、持続的な宇宙意識の状態は、神経系が絶対と相対の両方を反映するように養われたときに、はじめて可能になります。したがって、私たちは、宇宙意識は心でいろいろと考えることによって得られるものではない、ということを心に留めておかなくてはなりません。

人は「私は宇宙意識を経験している」、「私は確かにこれを経験している」などと考え始めるかもしれませんが、それは心理的な幻覚です。宇宙意識のことを考えることによって、神経系が養われるのではありません。考えるのでも、ムード作りをするのでもありません。宇宙意識を理解するのでも、宇宙意識を想像するのでもありません。

そうではなく、神経系に純粋意識を得させ、それから目覚めているときの意識状態へと戻らせるのです。このようにして、人格の物質的な構造(神経系)が本当に養われたときに、宇宙意識がやってくるのです。それは、目覚めの意識状態と同じように現実的な、人生の一つの状態であるのです。

さて、これで宇宙意識の状態が明らかになりました。宇宙意識とは、純粋意識と目覚めの意識が一緒になったものです。二つの意識が一緒になったものが宇宙意識です。このような人生の利点は、持続的な至福意識のなかで生きられるということです。無限のエネルギーと知性に完全に調和して揺らぐことがなくなります。

そうすると、その人の人生は確固とした地位を得ることになります。まず、相対的な人生の領域のなかにいても、決して自分を失わなくなります。次に、想念や活動のさまざまな領域に飛び込んでいくときに、自分の願望を実現する方法がわかるようになります。なぜなら、その人は無限のエネルギーと知性に調和して生きているからです。

このように、無限のエネルギーと知性と至福意識のなかに自己を確立しているということが、人生に成就をもたらします。そして、こうした状態は、系統的な方法で、科学的な方法で、実現されます。注意を目覚めの意識状態から内なる「存在」へと導きます。心を内側に戻してはまた外側に行かせ、内側に戻してはまた外側に行かせるといった、系統的、科学的な方法で実現されるのです。(「聖なる意識の目覚め」より)
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 今回は、五番目の意識状態である宇宙意識に関するマハリシの解説をご紹介いたします。

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 超越瞑想というこの簡単なシステムでは、私たちの注意を粗大で多様な客観世界から創造世界の精妙な領域へと導いていきます。そして創造世界の最も精妙な領域を超越すると、超越的で神聖な絶対の至福、神の御国が直接、[意識]に開かれます。ひとたび意識的な心が[意識]のこの超越状態に開かれると、心は完全にそれと一体になります。心はそれになります。それは「存在」の状態、永遠の生命、純粋意識、「真我」の状態、完全な[意識]です。

 心がそれになって、そして出て来るとき、心はそれのいくらかを持って出てきます。心の本性そのものの中に「存在」の性質が注ぎ込まれます。心は「存在」の性質を持って出てきて、「存在」を自然に生き、またそれと同時にこの世界を自然に楽しみます。

 それはただそれになるだけのことです。つまり、注意を生命の粗大な領域から精妙な領域の直接的な経験へと転じて、より精妙な領域から最も精妙な領域を経て、「存在」の超越的な状態に至って、100パーセントそれになります。そのとき、その神聖な意識は記憶の領域に置き去りにされるのではありません。それを思い出そうとする必要はありません。忘れないようにと努める必要はありません。それは自然に持続します。なぜなら、心そのものにそれが注ぎ込まれるからです。それはちょうど、乾いたスポンジが水の中に入っていって水になる、100パーセント水でいっぱいになるのと同じです。あるいは、白い布が黄色い染料の中に入っていって完全な黄色になって出て来るのと同じです。

 黄色い色が定着して日光にさらされても色あせないようにするために、私たちは布を染料に入れては出し、入れては出し、それを何度も繰り返します。この過程を数回繰り返すと、色が定着して絶対に色あせなくなります。色が定着して色あせなくなったとき、そのとき、心は満ちており、100パーセント神聖です。

 その神聖さが外側の客観的経験によって覆い隠されることがなくなるとき、つまり生命のその一元性が世界の多様性に覆い隠されることがなくなるとき、そのとき、それは人生において100パーセント生きられることとなります。あれとこれ、その両方が一緒になります。超越的な「存在」と相対世界の経験、両方が手を取り合うのです。

 これが起こるとき、人生の目的が成就されます。これが宇宙意識です。そのとき心は、純粋「存在」の状態に完全に満たされて戻って来て、五感による知覚のこの世界を生きます。全てのものは以前と同じように経験されますが、しかし以前のように内側の「存在」の状態に無知ではありません。今は内側の「存在」の完全な状態が生きられるようになりました。それが心に行き渡りました。しかも、生命の中のあらゆるものも経験されています。

 この状態とそれ、両方が同時に一緒になったのが宇宙意識です。これが人生の目的です。これは居間の暖かさとベランダの寒さを同時に経験しているような状態です。これは最も称賛に値する実存の状態です。その状態を想像してみてください。居間の暖かさとベランダの寒さの両方を同時に楽しみます。家を十分に活用するとはそういうことです。

 超越瞑想は、このような状態を全ての人にたいへん直接的にもたらす方法なのです。マハリシ(TM運動30年史より)

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 今回は、規則的に瞑想することによって体験するより高い意識状態について説明していきます。この文章は、キース・ワレス博士著「意識の生理学」から引用したものです。

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 マハリシ・ヴェーダ科学は、七つの意識状態の理解と経験を与えてくれます。最初の三つは私たちがよく知っている眠りの意識、夢の意識、目覚めの意識です。四番目は純粋意識であり、後の三つはより高い意識状態です。

宇宙意識

 超越瞑想中に純粋意識を規則的に経験していくと、神経系が新しい機能スタイルをとるようになります。目覚めの活動、夢、眠りの規則的な毎日のサイクルと超越意識を交互に経験していくと、神経と生理の機能が次第に洗練されてます。そしてその結果、五番目の意識状態が生じます。これは「宇宙意識」として知られている、新しい、より拡大した状態です。

 宇宙意識において、個人は自分の本質が永遠の真実である超越意識、純粋意識であることを悟ります。この五番目の状態では、超越意識が目覚め、夢、眠りと共存しています。宇宙意識においては、例えば最も躍動的な目覚めの活動中でさえも、人は安らぎに満ちた、絶対的に透明な内側の意識の質を持っています。眠っているときでさえも、人は内なる超越意識の機敏さを経験しています。このように常に保たれている内側の静かな機敏さのことを、マハリシは「目撃」と呼んでいます。これは、[意識]の変化する状態と超越意識とが同時に経験されている状態です。

 宇宙意識では、[意識]が永遠に純粋意識の場に確立されていますから、認識の対象によって与えられる印象が認識者を覆い隠すことはなくなります。このことは次のような例えを使うとわかりやすいでしょう。通常の目覚めの意識状態では、外界の何を経験しようとも、それが美しいバラであったとしても、その経験は岩に線を刻むようです。消し難い、深い印象が後々まで長く残り、それが根底にある純粋意識の本質を多い隠してしまいます。マハリシはこのような現象を次のように説明しています。

「花のイメージは目の網膜へと進み、それから心に達します。花のイメージは心に印象を与え、それが花の経験となります。その結果、心は花の印象を受け取るときに、その印象によって曇らされてしまいます。心の本質が覆い隠されて、花のイメージが心に印象づけられたまま残ります。観察者すなわち心は、いわば経験の中に見失われたような状態になるのです。」

 しかし、規則的に超越の経験をしていくと、次第に純粋意識が心の本性の中に上がってきて、通常の目覚めの意識が変わってきます。そして、宇宙意識が完全に確立されるのですが、その状態をマハリシはさらに次のように説明しています。

「花は見られますから、印象はそこにあります。しかし、それは水の上に書いた線のようです。線は引かれ、見られるのですが、それと同時に消えていきます。このようにして、「存在(純粋意識)」の状態が維持されます。そして、それと同時に、外側の客観的な経験も維持されています。」

 心がこの発達のレベルに達するのは、対象を経験しているときに純粋意識について考えたり心の中に純粋意識の気分や知的な考えを維持しようと努めることによってではない、ということをマハリシは強調します。私たちが外界を最大限に楽しんでいるときにも純粋意識の限りない至福を経験できるようになるのは、超越して純粋意識を直接的に経験するという簡単な過程によるのです。

 マハリシはまた、宇宙意識は人生から引退した状態ではないことを強調しています。それどころか、純粋意識の経験は心の意識的な範囲を拡大するのですから、対象の経験はより深く、より豊かに、より充実したものとなります。

神意識

 そして、神経と生理の洗練を続けていくとさらに進んだ二つの意識状態に達するとマハリシは説明しています。六番目の意識状態は「神意識」「洗練された宇宙意識」と呼ばれています。この状態では、知覚が非常に洗練されて、知覚の対象の最も精妙な価値が認識されるようになります。

 宇宙意識においては、認識者は自分の本質が純粋意識であることを悟っています。それに対して、六番目の状態では、認識者のより表現された価値、すなわち知覚のメカニズムの洗練が含まれています。人は知覚の対象のより精妙な価値を知覚し始めます。それはあたかも、主観性の最も深いレベルに確立された純粋意識の性質が、私たちが見聞きする客観世界の中へとあふれ始めたかのようです。

統一意識

 七番目の意識状態は伝統的に「統一意識」と呼ばれています。これは人間の発達の頂点であり、完全な悟りの状態です。統一の状態では、内側と外側の真実はそれらの最も普遍的で限りない本質として、すなわち真我として認識されます。人は、純粋意識は自分自身の主観性の根底にある真実であるだけでなく、客観世界における知覚のあらゆる対象の根底にある真実でもある、と知ります。人は生命の二つの基本的な面である変化と無変化を同時に包括し、それらは限りない純粋意識の表現に他ならない、つまり、自然法の統一場の全体性がそれ自身の中で動いているのだ、と見るようになります。

 マハリシはこう述べています。「悟りに達した人は、多様化した創造界の全体の中で見たり行動しているときも、その堅固な生命の「統一」からはずれることはありません。生命の「統一」はその人の心を満たし、その人の視野にすっかり浸透しきっているからです。」

 より高い意識状態への成長は超越瞑想の実践を通して自然に起こる、とマハリシは強調しています。より高い状態は、何か変なもの、奇異なものとして経験されるのではありません。そうではなく、私たちは自覚のまったく自然な状態としてそれらを経験するのです。(キース・ワレス博士著「意識の生理学」より)
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今回は、七つの意識状態について解説した文章をご紹介いたします。これは、米国マハリシ・スクールを紹介した書籍「グローイングアップ・エンライテンド」からの転載です。

超越意識と宇宙意識


 マハリシは七つの意識状態について説明しています。七つの意識状態とは、私たちにとってなじみ深い、眠り、夢、目覚めという三つの状態と、四番目の超越意識の状態、そして、超越意識が日々の活動と統合されることから生じてくる、宇宙意識、神意識、統一意識のことです。

 第四番目の意識状態である超越意識とは、人の内側にある枠のない無限の本質を体験することです。そして、第五番目の意識状態である宇宙意識は、超越意識が目覚め、夢、眠りと共に常に維持されるようになった状態です。宇宙意識において、人は変化する活動の中にあっても、自分自身の枠のない真我(超越意識)を決して失うことがありません。

 マハリシは、超越瞑想の規則的な実践を通して、宇宙意識が自然に発達していく様子を次のように説明しています。

「毎日瞑想を実習することにより、私たちの生活の中で、第四番目の意識状態である超越意識が、目覚め、夢、眠りの三つの意識状態と共存する可能性が生じてきます。その結果生み出される神経系の状態は、単なる目覚めの状態でもなく、単なる超越意識の状態でもありません。むしろ、両者の組み合わせと言えるでしょう。生命のとても自然な傾向を利用する、超越瞑想というテクニックを通して、私たちは第四番目の意識状態の本質に滑り込み、それが枠のないものであることを発見するのです。

 始めのうちは、神経系がまだその機能形態に慣れていないために、瞑想後は、通常の習慣的な機能形態に戻ってしまいます。しかし超越意識の状態はとても素晴らしく、安らぎに満ち、無限で、満ち足りた状態ですから、瞑想を始めると、神経系は非常に速く超越意識の状態を取り戻すようになります。超越意識の状態と、目覚め、夢、眠りの三つの状態とを、交互に経験するうちに、神経系は超越意識の機能形態を維持するように習慣づけられます。そうなると超越意識の状態が、目覚めているときにも、夢を見ているときにも、眠っているときにも維持されるようになります。目覚めの状態の活動も、夜の休息も、夢の架空の性質も、超越意識を壊してしまうことはありません。それは永遠に維持されます。」

 五番目の意識状態である宇宙意識の特徴は、枠のない意識と枠のある意識が共にあるということです。心は知覚の対象の枠を経験している間でさえも、枠のない意識の状態を維持するようになります。

 ひとたび宇宙意識が確立されると、第六番目と第七番目の状態が発達します。第六番目の意識状態は神意識と呼ばれます。神意識においては、外側の環境が最も洗練され、かつ栄光化された状態で知覚されます。人は自然界に働く知性や、調和や、偉大さを、最も深く認識するようになります。(続く)

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神意識と統一意識

 宇宙意識から神意識、統一意識へと成長していく過程において、知覚が洗練されていきます。その様子をマハリシは次のように説明しています。

「宇宙意識において、枠のない無限の意識を得たとき、私たちはより深い知覚の価値を認識できるようになります。そして、知覚はますます洗練され、ついには最も精妙な知覚がもたらされます。それは、経験の対象の最も精妙な相対的価値を、私たちがはっきりと知覚できるようになった状態です。

 それまでは、対象の表面だけを見ていて、最も精妙な価値を見ることができませんでした。しかし、宇宙意識において、無限の意識が意識的な心のレベルに確立されると、知覚は自然に対象のより深い価値を認識し始めます。そしてついには最も精妙な相対的価値を、粗雑な表面レベルで知覚できるようになります。それが神意識の状態です。

 そして、第七番目の意識状態である統一意識が発達し始めると、最終的に、知覚の対象が枠のない無限の価値を得て、その人自身の真我の現れとして経験されるようになります。このとき、認識者と認識の対象の間の大きな隔たりが埋められ、認識者、認識の過程、認識の対象が一つに統一されます。」

 完全に開発された人間の意識状態である、統一意識の特徴について、マハリシはさらに次のように説明しています。

「この第七番目の意識状態は、意識の統一状態と呼ばれるに十分値するものです。統一意識において、意識的な心は、枠のない意識の価値を生き生きと保ったまま対象をとらえます。そのとき、無限で非具象であるという、対象の持つ究極の価値が生き生きとしてきます。対象は、枠のない非具象の意識に備わる、純粋な本質的価値として認識されます。この統一された意識状態では、経験者と経験の対象の両方が、同じ無限の価値としてとらえられ、認識者と認識の対象との間の隔たりは埋められます。枠のない知覚を得て、これまで見えていなかった対象の無限の価値を認識し、対象の全実存を認識することができるようになります。この状態に至ったとき、初めて知識の完全な価値が得られ、完全な知識について語ることができるようになります。」(続く)

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高次意識の体験談

 マハリシの三十年間に渡る超越瞑想の教えの中で、何百、何千もの高次意識の体験が得られました。超越意識、宇宙意識、神意識、統一意識といった、高次意識の体験は、古代ヴェーダ文献の中にも記述されています。以下の実例は、マハリシの超越瞑想を数年間実践している人々の報告です。こうした体験談は、高次意識の体験がとても自然に起こり、それらが個人の生活に様々な変化をもたらすことを示しています。

「広大無辺さ、素晴らしい至福、完全な静寂。活動中には力強く静かな全体性が、あらゆるものの表面に表れています。素晴らしい柔らかさが、私が見るものすべてを結びつけ、融合させています。(S.B. カリフォルニア州)」

「累積的な効果が、私の行動面に最も顕著に表れています。穏やかさとバランスが常に増大し、心がますます落ち着いてきているのを感じます。願望の成就という面でも、抵抗が少なくなっています。自然と調和して生きられるようになり、願望が速やかに叶えられています。ほとんど努力せずに人生で偉大なことを成し遂げられるという気がします。

 また、柔らかく優しい感情が成長しているという、全く新しい感覚に気づくこともあります。まるでこの世界のすべてのものを私自身の内側に取り入れ、それを大きな愛情で包み込むように優しく扱うことができるという、心が溶けるような感覚を数日間味わったこともあります。一日のうちの長い間、見るものすべてが神々しいまでに燦然と輝いているという経験もよくあります。

 活動中に感じられる気楽さや深いくつろぎと同時に、私の注意と知覚がとても鋭くはっきりとし、とても鋭敏になったことを特に感じます。細かな部分をもっとはっきりと認識し、事物間のつながりをよりよく知覚するようになりました。また同時に、環境から好ましくない影響を受けることもなくなりました。(J.B. カナダ、オンタリオ州)

 高次意識の体験は、生命にとって自然なものであるために、誰もがいつでもそれを垣間見ることができます。例えば、ウィリアム・ジェームズやアブラハム・マズローは、西洋の現代作家や科学者たちの生活における、そのような体験について研究しました。しかし、多くの人々が高次意識を垣間見てきたにもかかわらず、これらの経験を規則的に引き出したり、永遠に維持するための、体系的な方法が何ひとつありませんでした。従って、躍動的な活動中でさえも超越意識が永遠に維持されるというこの啓発の状態は、はるか遠くの目標であり、人里離れた僻地に住む隠遁者だけが、長く困難な方法を通してようやく得るものであると、長い間決めつけられてきました。

 マハリシの超越瞑想によれば、誰もが努力なく自然に、超越意識の体験を得ることができます。この体験と日常の活動を交互に規則的に繰り返すことにより、高次意識をただ「垣間見る」だけでなく、完全な啓発へと至り、生命の最高に発達した状態である、統一意識を生きることができるようになります。(グローイングアップ・エンライテンドより)

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七つの意識状態について説明したマハリシの講義をご紹介いたします。

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超越瞑想プログラムに関する心理学的研究や生理学的な研究によって確かめられたところによると、四番目の意識状態である超越意識は、自動的に、他の三つの意識状態(目覚め、夢、眠り)を豊かにします。

超越意識の体験は、神経系にたいへん深い休息の状態を生み出します。この深い休息を繰り返し体験することによって、超越意識を他の三つの意識状態といっしょに保つことができるようになります。

四番目の意識状態は、目覚め、夢、眠りの意識状態を超越しています。この超越的な状態は、非具象であり、枠がない、純粋な[意識]として体験されます。

純粋な[意識]は、四番目の意識状態の本質です。それに対して、客観世界の[意識]は目覚めの意識状態の特徴です。意識の超越状態と目覚めている状態の共存は、枠のない状態を[意識]するとと共に、様々な枠を[意識]していることが、その特徴となります。ここから、五番目の意識状態である宇宙意識が生まれてきます。

宇宙意識において、限界のない[意識]が意識的な心のレベルに確立されたとき、限界の理解はいっそう完全になります。この状態においては、知覚が客体のより深い、より微細な価値を認識し始め、やがて、客体の粗大な、表面的なレベルにおいても、最も微細な価値が自発的に認識されるようになります。これが意識の六番目の状態です。最も微細な相対的知覚と共に限りない[意識]があります。

六番目の意識状態の発達は、感情のレベルによって導かれる最も微細な活動と共に超越意識を体験することを通して起こります。意識的な心の限りない[意識]が客体の最も微細な価値の限界の上に落ちると、客体の最も微細な価値に浸透している非具象の超越的な価値が活性化されます。有限なものの中に無限を知覚するというこのことは、意識的な心があの無限の価値の中で生き生きとしているときにだけ、可能になります。

この状態においては、主体の価値と客体の価値は、同一であると見いだされます。これが七番目の意識状態である統一意識です。統一意識においては、知覚がその無限の価値までに高まり、知覚の対象(客体)は、限りない非具象の[意識]の純粋な主体の価値として認識されるようになります。

統一意識においては、認識者が認識の対象(客体)を、その有限の表面的な価値から、その究極的な無限の価値まで、その完全さにおいて認識するようになります。この[意識]の統一的な状態において、人は知識の完全な価値を手にいれます。それは認識者と認識の対象(客体)の間の隔たりに橋渡しをします。

統一意識は、意識の最高の状態です。超越瞑想の実践を通して、あらゆる人がその状態を生きられるようになります。統一意識においては、対象の無限で限りない価値が[意識]に開かれます。絶対の抽象的で非具象の価値があらゆる対象に知覚されるときには、知識は完全です。(「マハリシが 学生に語る」第一巻より)

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知覚能力の成長とより高い意識状態

質問者 宇宙意識が、どのようにして神意識、統一意識へと発達するのでしょうか。また、神意識と統一意識とはどう違うのでしょうか。

マハリシ 神意識の特徴は、相対世界の最も精妙な価値を評価、認識できる能力にあります。そして統一意識の特徴は、最も精妙な相対を超えた無限なるものを評価、認識できる能力です。違いがわかりますか。

ここに、濃い赤色のバラがあるとしましょう。その濃い赤い色と無色の樹液との間には、多くの色の層があります。より薄い赤、もっと薄い赤、そして最も薄い赤、さらに無色の樹液です。宇宙意識においては、大我の意識が維持されたまま、花の表面的価値である濃い赤い色を認識しています。私たちの知覚能力が粗大な場合には、濃い赤い色しか認識することができません。しかし、知覚が精妙になってくると、より薄い赤いを認識するようになります。そして、最も精妙な赤を認識する能力は、相対世界における至高の知覚といっても差し支えありません。神意識とは、この種の知覚能力をもつことです。これは相対世界における最も精妙な知覚です。これが宇宙意識と神意識との違いです。

さて、知覚能力がさらに増しますと、無色の樹液を知覚するに至ります。最も精妙な赤を超えたものは無色の樹液です。最も精妙なものを知覚する能力がさらに増したとき、最も精妙なものを超えた無限なるものを認識する能力が得られます。すべては、無限の価値として知覚されるようになります。無限の価値とは何でしょうか。無限の価値とは、あらゆる有限の価値の基に横たわっているものであり、有限のあらゆる価値を調和させています。あらゆる違いを調和させているのです。そのレベルにおいては違いは溶け去ります。ですから、超越的で無限の価値を認知する視野が得られると、違いは支配的ではなくなり、調和が支配的になります。違いがある世界で生きることができなくなるということではありません。そうではなく、違いが重要ではなくなり、調和が支配的になった生命を生きるのです。これが統一意識です。

神意識と統一意識との違いは、相対世界のもっとも精妙な価値を知覚する能力と無限の価値を生きる能力との違い、最も精妙な相対世界と絶対界との違いです。最も精妙な価値が生きた現実となるとき、それが神意識です。無限の価値が生きた現実となるとき、それが統一意識です。

これで、宇宙意識、神意識、そして統一意識の間の違いが明確になりました。その違いは知覚する能力にあります。もちろん、この三つの意識状態のいずれにおいても、大我の気づきの意識はまったく同じです。大我は宇宙意識において確立されます。そして、宇宙意識が神意識へと発達し、また統一意識へと発達したとしても、大我は永遠に確立されています。

宇宙意識から神意識へと成長する際に生じる違いは、大我のレベルには存在しません。違いは、大我ではないものを知覚するレベルで生じます。大我と大我でないものがあります。大我でないものの知覚は、さまざまに異なります。表面的で粗大な知覚から、徐々に洗練された知覚、そして最も洗練された精妙な知覚へと至ります。このとき、宇宙意識が神意識へと成長したというのです。そして、最も精妙な相対からさらにもう一歩進歩の歩みがあり、知覚は無限性のレベルへと高まります。このとき統一意識に到達したというのです。続く(高次意識への成長より)
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違いがなくなり、調和が支配的になる

統一という言葉は、調和という意味をもっています。統一意識においては、生命のすべての違いを調和させるものが、日常生活における生きた現実となるのです。

緑の葉や茎、赤い色、バラの花、これらの中には樹液があります。無色の樹液があり、さまざまな色があります。つまり、植物には二つの価値があるのです。一つは表面にある違い、そしてもう一つは、その違いのもとにある統一です。同じことが、被造界全体にも当てはまります。表面には違いが存在し、そのもとには統一があります。その統一が視野の中にやってきたとき、その状態を統一意識と呼ぶのです。

統一とは、違いがないということ、不調和がないということです。この不調和がないということは、神意識においてさえもかなり成長しています。なぜなら神意識では、相対世界における最も精妙なレベルの知覚が得られており、相対世界の最も精妙な知覚は、あらゆるところにおいてほとんど同じだからです。最も薄い緑は、ほとんど無色の樹液と同じです。最も薄い赤は、無色の樹液とほとんど同じです。相対世界における最も精妙なもの、つまり最も薄い緑や最も薄い赤は、ほとんど無色と同じなのです。このような意味において、神意識においてさえも違いはなくなるのです。違いがほとんどなくなり、強力な調和があり、すべての被造物がその至高の価値において楽しまれ、相対世界における最高の価値で生命が生きられます。

そして、その最高の価値がさらにもう一歩、すなわち、最高の価値が統一へと進むのです。そして統一が得られます。そのとき知覚は、すべての違いのもとに横たわっている生命のレベル、すべての違いを調和させ、統一しているレベルに到達します。あらゆる個人、宇宙のさまざまな面など、その違いは残りますが、それらはお互いに結びつけられます。宇宙全体、ほとんど無限の宇宙は一体になります。見えない糸によって結びつけられるのです。それはちょうど、すべてのビーズがつながれていくようにです。宇宙は、ちょうど生命の花輪のようなものです。目に見えないところにある真実、抽象的な真実によって、あらゆるものがその花輪のなかに結びつけられるのです。

その真実は抽象的ですが、宇宙の花輪を形成している変化しつづける価値よりも、ずっと具体的です。目に見えない糸を自覚するようになったとき、それが統一意識です。それは意識の統一状態です。ですから宇宙意識から神意識、そして最終的には統一意識へと意識が成長するのは、知覚の能力が成長するということなのです。知覚する能力がどんどん洗練されていくのです。続く(高次意識への成長より)
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内側の調和に基づいて外側の調和が確立される

宇宙意識において、心は内なる大我(存在)との完全な調和を確立しています。心は存在になります。心が存在になるということは、心が存在との絶対的な調和を得るということです。自分自身の大我との無限の調和があります。これが宇宙意識です。人は自分自身の大我との完全な調和を得たのです。

さて、自分自身の大我との調和を得た後、その次のステップは、自分以外の他のものとの調和を得るということです。これが調和の発達の次のステップです。そして、このステップが効率的に始まるのは宇宙意識からです。なぜなら、あらゆるものとの調和を得るためには、その調和の基礎が強力でなければならないからです。これはとても重要なポイントです。

ビルを空高く建てるときには、基礎となる地下部分がしっかり造られなければなりません。では、あらゆるものとの調和の基礎となるのは何でしょうか。それは自分自身との調和です。優秀な医者であるための基礎は、医者自身が健康であるということです。医者自身が健康であるということが、医者であることの基礎であり、証となります。もし不健康で苦しんでいるとすれば、その医者は医学の技術を活用していないことになります。医療にしっかりとした基礎をもっていないのです。

自分自身の内側における調和が十分に築かれていないのであれば、つまり、心、体、理知、自我の間の協調、人格全体の協調が弱いのであれば、外側との調和は決して得られません。混乱した弱い人間、つまりその人の理知と心が同じペースで機能していない、五感と自我が同じペースで機能していない、そのような人は他のものとの統合を見いだすことはできません。自分自身の内面における協調が保たれていない人の場合、他人との関係は常に統合に欠けたものとなります。

生命における永遠の調和とは、すべてのレベルに調和が確立された状態です。すべてのレベルとは、生命の主観面と生命の客観面です。心が存在に立脚し、自分自身の調和を保っている人は、自分の外側のすべてのものとの調和を確立するようになります。つまり、宇宙意識は、心と存在との完全な調和を確立することによって、大我の気づきの意識が決して失われないようにします。

大我の気づきの意識が失われなくなると、人格の主観的な内面が完全な調和を保つようになります。人格の主観面における、すべての部分の協調がよくなります。内面における完全な調和は、外側の世界との調和を確立するための基礎となります。人が外側の世界との調和を確立するのは、内側の調和を確立することによってです。続く(高次意識への成長より)
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環境との最も親密な関係を確立する

宇宙意識において、気づきの意識は拡大し、枠がなく明晰で純粋なものになります。この純粋で枠のない視野においては、知覚の対象のより精妙な真実が、自動的に視野に開かれます。そして私たちの知覚が最も微妙な相対を認知できるようになれば、対象物は神々しい価値をもって輝くようになります。これが神意識の状態です。

神意識の段階では、相対世界における最大の価値を認識します。最高の相対価値とは、神々しさをもつ価値です。最も偉大で最も賞賛に値し、最も人を惹きつけ、最も満足と力を与えてくれる、最も楽しく美しい価値が、環境のあらゆるもののなかに見いだされます。それによって、私たちと環境との関係は愛と調和で満たされるようになります。すべての人に対してとても親密になり、すべての人との関係が非常に報いあるものとなります。調和が増すということは、両者の関係において、相手への認識が深まっていくことを意味します。認識が深まると、その関係は愛に満たされ、楽しく実りのある調和に満ちた関係になります。

そして、進化の力は引き続き作用します。調和の度合いがさらに強まり、私たちは相対世界の最も精妙な価値を認識するだけでなく、超越的な絶対価値をも認識するようになるのです。そして、私たちが、すべての対象物の中に無限の価値を見いだすとき、対象物との関係もまた、自分自身に対する関係と同じレベルにまで高まります。

環境のすべてのものとの最も親密な関係は、私たちが自分自身に対面しているのと同じように、他のすべてのものと対面するようになったときに確立されるのです。そのときには、あらゆるものが自分自身として認識されます。多様な環境全体が自分自身として認識されるようになり、無限の調和、永遠の調和が確立されます。そうなれば主体と客体、つまり、知覚するものとその知覚の対象との間には、どんな不調和の影も落とされなくなります。これが、あらゆるものが自分自身として認識されるようになったときの、絶対的な一元性です。そのとき、外側の調和が内側の調和と同じくらい効率的な状態に達した、と言えます。

心が大我との完全な調和を得ていながら、対象との調和はまったくない状態がありました。なぜなら、対象の世界が、大我とはまったく異なるものとして認識されるためです。自分が活動しているときでも、私は活動を目撃しており、私自身は活動していない、あるいは、ものを見ているときでも私自身は見ていない、といった状態です。行動と知覚の領域全体が、私たちのいう生命から分離している状態です。他のものがすべて生命から分離している状態です。

しかし、この状態は最も賞賛に値するものです。なぜなら、心が無限の価値において自らを発見したからです。大我に進化したわけです。これが宇宙意識です。大我が実現されました。大我が、その永遠の価値において実現された状態です。しかし、大我の永遠性はまだ、あらゆるところに浸透する現実にはなっていません。大我は、まだ活動の領域、相対領域とは別のものです。そのようなレベルから真の愛の流れが始まるのです。対象の、もっと深い、もっと意義のある、もっと精妙な価値の認識が始まります。そして、洞察する力はもっと愛に満ち、哀れみに満ち、幸福に満たされ、もっと完全で真実に近いものになってくるのです。

世界は同じです。しかし、私たちと世界との関係は、もっと報いあるものになってきます。なぜならば、私たちはすべてのものを賞賛し、楽しみ、活用できるようになるからです。環境のすべての利用価値が増してくれば、関係における調和も増してきます。私たちが無限の価値、絶対の価値、すべてのものに浸透している価値を知覚できるようになったとき、私たちは進化の最高点に達します。

このように宇宙意識から神意識へと高まり、自動的に統一意識へと発達するのです。人は生命の完全な価値を楽しむために生まれてきています。ただ人はそれを得る方法、仕組みを知らないだけなのです。一度知識がやってきて、その知識を生きることができれば、すべての人が生命の完全な価値を生きることができるようになります。(高次意識への成長より)