瞑想の効果を実感してみて下さい。

超越瞑想(TM)の方法や効果について詳しくご紹介します。

静寂のひととき……TM瞑想

瞑想で脳の潜在力を開発!

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マハリシのメッセージは簡単で直接的です。すなわち、すべての人の内側には、エネルギー、知性、幸福の無限の宝庫があります。

歴史的な展望

1959年1月29日、マハリシ・マヘーシュ・ヨーギーは、サンフランシスコ国際空港に到着しました。それがマハリシの最初の訪米であり、アメリカは、超越瞑想プログラムを世界に紹介する世界旅行でマハリシが2番目に訪れた大陸となりました。

マハリシは2か月の滞在中、何百人もの人々に講義をし、多くの人々がこのテクニックを学びました。サンフランシスコ・クロニクル紙は、マハリシの講演の1つを取材して、アメリカで最初の超越瞑想法に関する記事を掲載しました。

そのときのマハリシのメッセージは簡単で直接的なものでした。そして、それは今日でも同じです。人生は至福です。人は楽しむために生まれてきます。すべての人の内側には、エネルギーと知性と幸福の無限の宝庫があります。超越瞑想法は、それを体験するための簡単で努力の要らない方法です。このテクニックは、年齢、文化的背景、宗教、学歴に関係なく、だれもが容易に学ぶことができます。

photo_mmy_bliss2.jpg初期の頃には、超越瞑想法の教師も、超越瞑想プログラムのセンターもありませんでした。マハリシは、サンフランシスコの次にロサンゼルスで数か月を過ごし、それからニューヨークへと旅立ちました。さらにマハリシは、ニューヨークから、イギリス、ギリシア、ドイツなど、世界中を巡りました。

超越瞑想の運動は、質素に始まり、着実に成長していました。そして、このテクニックに関する最初の科学的研究が発表されたことで、超越瞑想プログラムはいきなり世界的に認知されるようになりました。

超越瞑想法に関する最初の研究は、1968年に生理学者のロバート・キース・ワレスがカリフォルニア大学ロサンゼルス校で行いました。彼は「超越瞑想の生理学的影響:第4の主要意識状態の提案」という論文で博士号を取得し、彼の研究結果は『サイエンス』誌と『サイエンティフィック・アメリカン』誌に発表されました。この記事も、超越瞑想法の影響に関する研究が急激に盛り上がるきっかけとなりました。

1975年までに超越瞑想は、誰もが知っている一般的な言葉になっていました。

そして今日ではどうでしょうか? 100万人以上のアメリカ人を含めて、世界中のあらゆる職業、年齢、学歴、宗教の500万人以上の人々が超越瞑想法を実践しています。そして、その数は増え続けています。

このテクニックは、アメリカの6000人以上の医師、そして、アメリカおよび世界の大企業や中小企業の何万人もの管理職、経営者、従業員によって学ばれてきました。

主婦、弁護士、コンピューターのプログラマー、教師、学生、セールスマン、聖職者、スポーツ選手、工場労働者、建築家、航空機のパイロット、電気技術者、シェフ、芸術家が、超越瞑想法を実践しています。

なぜなのでしょうか? 超越瞑想法は簡単に学べるからです。だれでもそれを実践できるからです。そして、それは効果があるからです。

過去35年間、30か国の216の独立した大学や研究所で、超越瞑想プログラムの効果に関する600を超える科学的研究が行われてきました。それらの研究の多くは科学誌に発表され、超越瞑想法には以下の効果があることを明らかにしました。

・ストレスが軽減する
・創造性と知性が高まる
・記憶力と学習能力が向上する
・エネルギーが高まる
・内面の落ち着きが増す
・不眠症が改善する
・幸福感と自信が増す
・不安や抑鬱が軽減する
・人間関係が改善する
・健康が改善する
・生物学的年齢の若さを促進する

超越瞑想法は、生命の無限の可能性をその源から活性化する簡単で効果的な方法です。それによって人生のすべての領域が豊かになります。ちょうど、植物の根に水をやると、植物のすべての部分に栄養がもたらされるようなものです。

■アメリカへの初めての訪問
「それはとても自然に、口コミで広がっていきました。」


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マハリシ・マヘーシュ・ヨーギーは、超越瞑想プログラムを創始し、実際的なヴェーダの技術を幅広く復活させました。

世界中を巡った50年

photo_mmy1.jpgマハリシ・マヘーシュ・ヨーギーは、知識の領域で深遠な功績を打ち立て、行動の領域で計り知れない偉業を達成しました。過去50年間に600万人以上の人々が超越瞑想法を学び、毎日2回実践して悟りへと高まっています。

マハリシは、4万人以上の教師を養成し、何千もの教育センターを開設し、何百もの学校と大学を設立しました。マハリシ・ヴェーダ科学のプログラムは、あらゆる国の民間企業、公共機関、一般家庭で利用されています。

世界規模の組織

1958年1月1日、マハリシは彼の世界的な運動を正式に開始しました。以来、マハリシは世界中を何度も巡って、彼の簡単な超越瞑想法を教え、多くの本を著し、国家元首を含めた政府の指導者たちと会談し、世界の一流の科学者、教育者、知識人の会議で講演をしました。

1961年にマハリシは、超越瞑想プログラムの教師養成コースを開始しました。今日でも超越瞑想法は、その当時と同じく7つのステップを通して系統立った形で指導されています。

1964年に、マハリシの最初の著書『Science of Being and Art of Living(存在の科学と生きる技術、邦訳のタイトルは『新訳・超越瞑想入門』)』が出版されました。この古典は100万部以上売れて、15カ国語に翻訳されました。この本には、あたかも現代の読者に語りかけているような明快さがあり、最近、Penguin Putnam社の一部門であるPlume Booksから新版が出版されました。

1971年にマハリシは、超越瞑想プログラムの教師2000人を養成し、世界計画を開始するためにすべての国にTMセンターを設立しました。現在、マハリシは、あらゆる範囲のマハリシ・ヴェーダ科学のプログラムを提供するとともに、それぞれの地域社会および世界全体に平和の影響を生みだすことを目的に、世界の3000の都市にマハリシ平和宮殿を建設しています。

科学的な検証

瞑想者たちが報告する肯定的な変化は科学的方法で検証可能であるという確信のもと、マハリシは超越瞑想プログラムの科学的研究を奨励しました。最初の研究結果は、1970年に『サイエンティフィック・アメリカン』誌に発表されました。

それ以来、科学者たちは研究に研究を重ね、超越瞑想法は、現代科学の記録のなかで最も徹底して研究された人間発達のプログラムとなりました。30か国の200以上の独立の大学や研究所で600を超える研究が行われ、専門家による論文審査がある100以上の科学誌に研究結果が発表されてきました。これらの研究によって、マハリシのプログラムは、現代生活の苦難に対して最も有効な救済方法であることが明らかになりました。

世界平和のためのプログラム

また研究者たちは、マハリシ効果と拡大マハリシ効果を発見しました。マハリシ効果とは、人口の1パーセントの人々が超越瞑想プログラムを実践することで、社会のなかに強力な同調の影響が生み出されることです。そして、拡大マハリシ効果とは、人口の1パーセントの平方根というわずかな人数が、より強力なTMシディプログラムをグループで実践するだけで、マハリシ効果と同じ影響が生みだされるという現象です。

この発見によって、国家の問題や否定性を根絶し、肯定的な傾向を強化する公式、国際社会全体の平和を実現するための公式が、あらゆる国にもたらされました。

マハリシ・ヴェーダ科学

マハリシは、超越瞑想法のほかにも、インドに古代から伝わるヴェーダの伝統の知識に基づく数多くの実際的なプログラムを復活させました。「ヴェーダの(Vedic)」という言葉は、サンスクリット語の「ヴェーダ(Veda)」という言葉から派生しています。ヴェーダとは、自然法に関する完全で永遠の知識という意味です。

マハリシ・ヴェーダ科学は、意識の科学と技術です。マハリシ・ヴェーダ科学のすべてのプログラムは「意識を基盤」としており、人間の意識の完全な発達を促進します。それによって、間違いを犯すことを避け、個々人や世界全体に苦しみを生み出すないようにします。

マハリシ・ヴェーダ科学の目標は、地上のすべての人が、生まれながらの権利である自然法に調和した人生、すなわち悟りの状態を生きられるようにすることです。

実際的なヴェーダの技術

マハリシ・ヴェーダ科学には、私たちが心、身体、意識を完全に活用し、悟りのなかで問題のない人生を生きられるようにする、幅広いヴェーダの技術が含まれています。

ヴェーダ健康法 – マハリシの意識に基づく健康管理を通して、健康を維持し、身体の内なる知性を活性化するための予防を重視した手法。

ヴェーダ教育 – マハリシの意識に基づく教育を通して、脳の創造的全潜在力を目覚めさせる。

ヴェーダ建築学 - マハリシ・ヴェーダ建築学を通して、自然法則に則して設計された建物や共同体で暮らす。

ヴェーダ農業 - マハリシ・ヴェーダ有機農業を通して、有機栽培食品よりもさらに活力に満ちた食品で心と身体に滋養を与える。

ヴェーダ占星学 - マハリシ・ジョーティシュ・プログラムを通して、将来の人生の傾向に対する貴重な洞察を得、マハリシ・ヤギャ・プログラムを通して、肯定的な影響を強化し、否定的な影響を打ち消すための手段を講じる。

ヴェーダ音楽 -マハリシ・ガンダルヴァ・ヴェーダ音楽の調和的な波動で、家庭や環境に平和の影響を生みだす。
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マハリシ
聖者の谷を出る


 超越瞑想の運動は、グル・デヴの至福に満ちた無限の静寂から始まりました。グル・デヴは、マハリシの先生として、またヴェーダの英知の具現者として、親しまれ尊敬されています。教師から生徒へと、生命の永遠の英知を伝えてきた、ヴェーダの代々の先生方の偉大な伝統の中で、マハリシにもっとも近い方です。

 マハリシは、一途にグル・デヴに仕え、グル・デヴに体現された無限の静寂と、純粋で完全な英知に浴して、十三年間を過ごしました。そして一九五三年に、ヒマラヤ山中深く、ウッタルカーシの「聖者の谷」に引きこもりました。二年後の一九五五年、マハリシの静寂の海は、一つのかすかな思いをもって動き始めました。マハリシはこの体験について次のように述べています。

 当時、ウッタルカーシに九十歳になる聖者がいました。長い間、厳格な修行をしてきた立派な聖者です。独身者で、髪が長く、数十センチも地面を引きずるほどでした。背が非常に高く、二メートル近くもあります。その聖者はときどき私の居る所へやってきました。そして、私はその聖者と大変親しくなりました。私たち二人の間には親密な感じがありました。

 ある日のこと、私はその聖者に言いました。
「ラメシュヴァラムに行きたいと思うのですが」
 ラメシュヴァラムとは、南インドにあるシヴァ神を祭った寺院です。返答はありませんでした。ウッタルカーシに住んでいる者の間には、ウッタルカーシを越えて南へ下れば、泥があるばかりだという共通の思いが暗黙のうちにありました。

 時折、その聖者はやってきました。そしてある日、髪をすっかり剃ってやって来ました。
「一体どうなされたのですか」
「長い髪も所有物だと気がつきました。以前から重いと思っていたのですが、それで切ってしまいました」
「長い髪はお似合いでしたのに。髪の重さは自然なものですから、切ってしまったら、軽すぎて変な感じがするでしょう」

 その後で、私たちはガンジス川に向かって一緒に座りました。二時間くらい、ほとんど何も話さず黙って座っておりました。ときどき短い言葉を二言三言、交わしたくらいです。何も話すことはありませんでした。世間のことは私たちの関心ではありませんし、計画を立てて何かを始めようということもありません。ただ、「ここに来てお座りください」と言うだけです。私がまた「ラメシュヴァラムに行きたいと思うのですが」と言ったときも、その聖者は何も聞こえなかったかのように黙っていました。その後、二、三週間たって、またラメシュヴァラムへ行きたいという思いがやってきたので、それを話しました。

 七カ月から八カ月がそのようにして過ぎました。そして私は聖者に次のように言いました。
「最近、毎日のようにラメシュヴァラムへ行きたいという思いがやってきます。この思いをどうしたらよいかわかりません。私はこのとおり完全に隠遁者の生活をしています。この思いをどうしたものでしょうか」
 するとその聖者は、ウッタルカーシの谷に住む聖者たちの習慣を私がまだ知らないのだろうと考え、私にこう話してくれました。
「ウッタルカーシは、二本の川によって境が作られている。当地の聖者たちは、そこから向こうのことは考えようともしない。ただ泥があるだけだから。それについては私たちは考えないことにしている」
 ウッタルカーシから一歩出ることさえもそのように考えているのですから、インド大陸を北から南へと横断してラメシュバラムへ行くことなど、もってのほかということになります。

 ラメシュヴァラムは、巡礼の地として有名なところです。インドの人々にとって、巡礼の地を訪れることは喜びであり、また誇りでもあります。ですから、どこかの寺院に行きたいと思ったとしても、それは誰もが抱く普通の思いなのです。とはいえ、もし誰かに何の目的で行くのかと問われても、私の心の中にはまったく何の答えもありませんでした。他の考えは何もなく、ただラメシュヴァラムという思いだけがあったのです。

 二、三週間後、またそのことを話すと、聖者は次のように答えました。
「随分長い間、同じことを考えているようだね。その考えを捨てたらどうだろう。つまり、そこへ行って帰って来て、もう二度とそのことについて考えないようにしたらどうだろう」

 聖者はそのように答えてくれたのですが、ラメシュヴァラムという思いを捨てるために行って帰って来るというのには、どうも納得できませんでした。しかし、とにかく、その聖者は私の心の中に何度も何度も浮かんできた、ラメシュヴァラムへ行きたいという思いに答えてくれたのです。

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初めての講演会

 この思いを胸に、マハリシはウッタルカーシを出て、南インドの聖都ラメシュヴァラムへ向かいました。到着して数週間、マハリシはその地の神聖な寺院をあちこちと参拝して歩きました。そして、カニヤクマーリ(大聖母)の有名な寺院を訪れたとき、ギーターに説かれている生命の永遠の英知、ヒマラヤの祝福を南インドの人々に与えようというインスピレーションがやってきました。

 マハリシはその後、再び北へ旅をしてケーララ州のクルヴァユール・クリシュナの寺院を参拝しました。人々にこの英知を与えようというインスピレーションがここでもまたやってきました。
 後に、マハリシは次のように回想しています。

 ヒマラヤから来た私の心の中に、鮮明な思いが一つありました。それは、「人は苦しまなくてもよい」というものです。インドのどの文献も、人間を賞賛する言葉で満ちています。ヴェーダは、「これすべては至福である。私は至福であり、無限であり、際限がなく、永遠であり、不変である」といっています。

 しかし、人々の日常生活のどこにこのような真理があるのでしょうか。現実の生活の中では生命は全く悲惨な状態であり、文献中に賛美されている生命の状態とはあまりにも違い過ぎています。個々人が普遍性と不死のレベルに至るのは、きわめて簡単なことです。このような真理と現実の食い違いに、私は大きく心を動かされました。

「人々が苦しむことのないように、何かがなされなくてはならない」
 私の心の奥深くに、このような思いが浮かんできたのは当然のことといえるでしょう。

 マハリシは、この思いを実際に口に出しては言いませんでしたが、それは自然に実現されることとなりました。そのときの出来事を、マハリシは次のように語っています。

 私は今でもよく覚えています。三週間ほど後、かすかな思いがやってきました。夕方のもく浴から帰る途中、非常にかすかな思いが浮かんできました。大変奇妙な感じの思いではありましたが、また大変柔らかく、優しい思いであり、自然に浮かんできた思いでした。
「さあ私は帰らなくてはいけない。しかし、帰る前にヒマラヤの祝福をこの地域の人たちに与えないのはよくないのではないだろうか」

 その祝福がどのような形のもので、どんな意味をもつのかといったことはまったく考えませんでした。「帰る前にこの地域の人たちにヒマラヤの祝福を与えたらどうだろう」というかすかな思いだけがあったのです。

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 それから三、四日のうちに、そこから一番近い町に行きました。ウッタルカーシへ向かって帰りの旅を始めたのです。一番近い町に行き、夜中に到着しました。インドでは、あちこちからやって来る聖者をもてなすのが習慣です。その町でも一人の人が私をもてなしてくれて、ある所に私を泊めてくれました。

 翌朝、町の寺院がどこにあるかを教えてもらいました。早朝五時、私は寺院に向かって通りを歩いておりました。いつも歩くときは人に案内してもらったりせずに、自分一人で歩くことにしていました。

 寺院の近くまで来たとき、だれかが後ろからついて来るのに気が付きました。寺院のすぐ近くで、その人は私の前に進みでて言いました。
「あなたは話しますか」
「はい、話します。しかし、それは講演をするかという意味ですか。私は講演はしません」
「北から来られたようですが」
「はい」
「どこにお泊まりですか」
 私は、自分が泊まっているところがなんという所か知りませんでした。代わりに目印をいくつか教えました。

 その日の午後三時頃、だれかが部屋のドアをノックしました。その音を聞いて私は驚きました。
「いったいだれだろう」
 それはあの人だったのです。私はドアを開けました。
「あなたの講演会を七回行う準備ができました」

 私は講演することはまったく考えていませんでした。その人は私の返答を待たずに続けて言いました。
「何についてお話しになりますか。七つの演題を教えてください。前もって発表しておかなくてはならないのです。七回の講演は一週間のプログラムになります」

 事の成り行きはまったく奇妙なものでした。まったく思いがけないことから始まったのです。その人は、私が講演するのにふさわしい場所があると言って、その町の図書館の名前を教えてくれました。私はそれがどこにあるか知りませんでしたが、彼は、「町のまん中にあるのです」とうれしそうに言います。それで、私は彼の言うとおりにすることにしました。ことは一歩一歩、非常に自然に流れていきました。

「講演をすることになるとは思ってもいませんでした。どんな話をしたらよろしいですか」
「どんなことでもかまいません。何か話してくださればいいのです」
 私は、何を話すか細かくは考えずに、思いつくまま七つの演題を言いました。とにかくこれとこれとこれとを話すのがいいだろうと思い選んだのです。講演を行うのは私にとって初めてのことでした。その人は演題を書き留めて帰ろうとしました。
「私にもメモをください」と言うと、彼はメモを書いて私に渡し帰っていきました。そのようないきさつから、私は図書館で、あちこちから集まって来た人たちに講演をすることになったのです。

 最後の七日目の講演が終わった後、その図書館の館長が私のところに来ました。彼は普段は講演会を聴きに行かないことにしているが、私の講演には大変興味をもったと言いました。彼は講演の会場には来ずに事務所にいたのですが、仕事の手を休めて私の話を聴いていたのです。十五種類もの言葉を話す、大変賢い人でした。彼は若い頃、何度か講演を聴きに行きましたが、しかしそのたびに、講演者が話す内容と、その人の実際の行動とが食い違っていることに気付きました。それで彼は講演会には行かないことにしていたわけです。
「私の話を楽しんでいただいて、ありがとうございます」と私は言いました。

 新聞がこの講演のことを取り上げました。七日間の講演が全部終わった後に知ったのですが、最初の日から大きく取り上げて報道してくれていたのです。聴衆は日ごとに膨れ上がりました。しかし、私はまったく何も気に留めませんでした。ヒマラヤへ帰る前に少し時間をつぶしているだけだ、というぐらいに考えていたのです。

 すべてが、段階を追って静かに自動的に進んでいきました。ちょうど河の水が流れるように、流れようとする努力は必要ありませんでした。水が自然に流れるための傾斜が、すでにありました。生命の流れは努力のいらないものです。

 このように自然発生的に起こった講演会の後も、マハリシはケーララ州に留まりました。バリスター・メノンという著名な法律家が、マハリシを町から町へと案内し、会合や講演会を開いたのです。マハリシはケーララ州のあちこちで超越瞑想を教えました。超越意識の体験を与え、人々の心を満たしました。

 どこへ行ってもマハリシの教えは同じです。人生で当然と思われている苦しみや悲しみは、必要のないものです。生命の本質は至福です。努力のいらない超越瞑想という方法によって、誰でも無限の至福意識を体験することができ、それを毎日の生活の中に統合することができるのです。

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世界的な運動の始まり

 その後、マハリシはケーララ州をたち、二年間インド各地を旅しました。その間、多くの都市で精神開発のための集会を開きました。各地で、何百人、何千人もの人が集まって来てマハリシの英知を聴き、超越瞑想の方法を学びました。あまりにも多くの人がこの貴重な知識を求めてやって来たために、あちこちの都市で滞在の予定を延期したこともしばしばでした。

 一九五七年の年末のことです。グル・デヴを慕う人たちが、グル・デヴの八十九回目の誕生日をお祝いしたいとマハリシに提案しました。マハリシはこれに応えて、精神的指導者たちの大きなセミナーを開くことになりました。グル・デヴの弟子たちや、インド各地の聖者たちが集まってきました。また、これらの啓発を得た人々の集まりから祝福を受けようと、一万人余りの一般の人々も集まって来ました。マハリシはこの時のことを次のように語っています。

 セミナーの三日間に、私はそれまでの二年間にインド各地で経験してきたことを話しました。超越瞑想は大変シンプルなものです。しかし、このシンプルな方法が、インドの各地で多大な効果を生み出すということがわかりました。それぞれの地方には、実にさまざまな生活の仕方があります。地域ごとに異なる文化をもつこの国で、このように広範な効果を生み出すことができました。ですから、この方法を用いれば全世界をも精神的に復活させることができるはずです。私はこう思って、この思いをそのまま話してみました。そうしたら盛大な拍手が起こり、二分、三分と鳴りやみませんでした。野外の夕方の集会に集まった一万人から一万五千人の人たちが拍手をしてくれました。それまでの2年間を振り返ったときに「全世界を精神的に復活させる」という言葉がまったく自然に出てきたのです。

 拍手がまだ続いている間に、私はセミナーを企画してくれた人に言いました。
「この集会をもう一日延ばすことはできませんか」
「会の運営のことは心配しないでください。どうぞお話しになりたいことをお続けになってください」

 拍手がやんだ時、私は言いました。「みなさんの拍手は、この瞑想法により世界を精神的に復活させようという私の思いに対する母なる自然の返答のようです。明日の夕方には世界的な運動を始めましょう。明日、ここで精神復活運動を発足させましょう」

 するとまた盛大な拍手が起こり五分ほど続きました。会場全体に楽しい雰囲気がみなぎっていました。「精神復活運動」という思いにより一人ひとりの心が活性化されたかのように、みんなの気持ちが急に高揚しました。

 会を組織してくれた人たちに囲まれて帰る途中、彼らは私に言いました。
「こういうことを考えておられると初めからおっしゃっていただけたら、もっと大きな会を組織しました」
「実は私自身、今まで考えてもみませんでした。集会に参加した人々の反応から自然にこうなったのです。みんながこれまでずっと心の中で思っていたことを、私が声に出して言ったに過ぎません」
 この運動はこのようにして始まったのです。(TM運動30年史より)

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「世界で一番進歩した国へ行こう」

1958年1月1日に、マハリシ・マヘーシュ・ヨーギーは、インドのマドラスで世界的な「精神復活運動」を始めました。マハリシは、簡単で自然で努力のいらない超越瞑想法を通して、世界の全て人々に純粋意識の直接的な経験をもたらそうとこの運動を始めたのです。

そして、最初の数カ月間に、マハリシはインドにおいて25の精神復活運動のセンターを設立しました。彼は旅を続け、インド各地で精神開発の集会を開いて、多くの人たちに超越瞑想を教えました。

人々の反応はどこでも非常に大きなもので、マハリシはそのような運動の進展に十分に満足していました。しかし、後年に彼が回想して話したように、それは1958年の春までのことでした。

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私はバンガロールにいました。私はそこに四日間だけ滞在していました。ある朝早くのことです。瞑想の後で考えが浮かんできました。運動が始まってからどれだけの時間が過ぎ、どれだけのことが成し遂げられただろうか? そのような考えです。

考えてみると、六カ月が過ぎていました。たくさんの人が私と出会って、たくさんの人が影響を受けました。当時、私は世界の人口がどれくらいか知りませんでしたが、ごく大ざっぱに計算してみました。五分ほどの間にすべてのことが頭の中にひらめきました。あれこれと理論が展開していきました。

世界中の人々に知らせるのにどれだけの時間がかかるだろうか? 計算してみたら二百年もかかるということがわかりました。二百年もかかるのです! それで私は考えました。「だめだ! 何か戦略を変えなくてはいけない」。なぜなら、そんなスピードでは何も起こらないからです。何事も成し遂げられずに、人生すべてがむだになってしまいます。

それで私は次に考えました。「もっと何かできないだろうか? 結局、私はある所からある所へと旅して人々に話をしてきたのだが、もっと何かできないだろうか?」 私は考えました。「一番進歩した国へ行こう。どこであれ、世界で一番進歩した国へ行こう」。

このように考えたのは、ある国が他の国よりも進歩しているのは個人が新しいものを取り入れる習慣があるからに違いないという論理からです。ある国が最も進歩的であるということの理由を私はこのように考えたのです。もし、個人が新しいものを採用する習慣を持っていれば、その国は進歩し続けます。そして、超越瞑想はたいへん簡単で無邪気でしかも非常に役立つものですから、ひとたびそれが受け入れられたならば、後は自然と広がっていくだろうと思ったのです。

詳しい知識は何もありませんでしたが、二つの国が私の心の中にありました。アメリカとドイツ、この二つの国がおそらく最も進歩した国だろうと考えました。アメリカがどんな国か、ドイツがどんな国か、詳しいことはまったく知りませんでした。教養のある人であれば、アメリカがどんな国か、ドイツがどんな国か、それを知っているはずですが、私の心の中はまったくの白紙状態でした。なぜなら、私は世界の地理に興味を持っていなかったからです。そのように何事にも無関心であるという態度がすっかり身についていたのですが、アメリカとドイツ、これがそのときの考えでした。

私は言いました。「よし、アメリカに行こう。アメリカの人たちは新しいことを取り入れる習慣があるに違いない。そこでこれが取り入れられれば、そこから世界中に広がっていくだろう・・・」

その朝、何人かの人に会ったとき、私は言いました。
「私はアメリカへ行きたいと思っています。」
彼らは答えました。
「結構です。」

パスポートをとるのに三カ月かかりました。私はそのとき初めて、パスポートというものが必要なのだと知りました。ヒマーラヤから出てきたばかりで、私はそんなことも知らなかったのです。

私が知っていたのは、誰もが必要としているが誰もが知らないもの、それを私は持っている、だから、私がどこで話そうとも、みんながそれを手に入れたいと思うだろう、ということです。(TM運動30年史より)
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マハリシ、最初の世界ツアーに出発する

一九五八年四月二十七日、カルカッタ空港に集まったインドの瞑想者と精神復活運動のリーダーたちの心は、優しい思いで満ちあふれていました。インドの生んだ最も輝かしい人が、人類を精神的に復活させるという美しい使命を持って、今初めて、インドの地を離れようとしています。みんながその成功を心から祈っていました。一人の人が、人類の運命を変え、将来何千年にも渡る普遍的な平和と幸福を確立するために、今、『ヴェーダ』の国から旅立とうとしているのです。

当時のことを思い起こして、マハリシは次のように話しています。

インドを出て最初に行った国はビルマでした。ラングーンに着きました。一人の実業家が何もかもしてくれました。空港で私を出迎えてくれたのもこの人一人でした。ラングーンには十日ほど滞在して、二百人ほどの人たちに瞑想を教えました。一回話をするだけで、二十四時間手があかなくなりました。そのようにして毎日が過ぎました。

そして私がビルマを離れる日が来たとき、空港はいろいろな人たちでいっぱいになりました。政府の役人、制服を着た軍人、警察官、僧侶--様々な位のビルマの仏教僧たち、ビルマ人もインド人もいました。空港がいっぱいになるほど大勢の人でした。そのとき、「始めよければ終わりよし」ということわざが私の心の中で鳴り響きました。インドの国外で初めてこのように大勢の人が集まって、私を励ましてくれました。それで、私は全てはたいへんうまくいっていると思いました。

インドの瞑想者たちにとって非常にうれしいことに、マハリシは彼の進歩や達成を手紙に書いて知らせてくれました。彼の最初の手紙は、ビルマでの大きな反響と成功を伝えたものです。マハリシはこの手紙の中で、次のような喜ばしい出来事を述べています。

仏教の僧侶が私に会いに来ました。信者達からたいへん尊敬されている人で、百四十五歳になるというのですが四十五歳くらいにしか見えません。私がラングーンに着く一年前からこの人が信者たちに話していたことがありました。ボーディプールニマーの日にヒマーラヤから偉大なヨーギーがラングーンに来る。みんなでその人に会いに行くことになるだろうというのです。私が到着したすぐ次の日の朝に、その聖者は主だった信者たちを連れて私の宿泊所にやって来ました。それはラングーンの人たちみんなにとっての驚きでした。私は聖者についてきた彼の信者たちを紹介してもらいました。彼らは軍隊の将校や政府の様々な部門の高官でした。

私は心からの愛と尊敬をもってその聖者にあいさつしました。彼は私に花輪をかけてくれました。私はグル・デーヴァの絵にかけてあった花輪をとって聖者の首にかけ、シュリー・グル・デーヴァの普遍的な恵みについて話しました。

聖者と信者たちは私の話を楽しみ、私たちはたいへん親しくなりました。・・・聖者は信者を連れて何度も私に会いに来ました。そして、二、三度、私を彼のアシュラムに案内してくれました。(TM運動30年史より)
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悟りへの道は容易である

マハリシは、ビルマからタイのバンコクを経て、それから「東洋の真珠」として知られるペナンへと旅をしました。

穏やかで優雅な東南アジアの文化の中では、精神性に高い価値が置かれていますから、人々が喜んでマハリシを迎えたのも当然のことと言えます。しかし、世界のほとんどの人たちと同様に、東南アジアの人たちもまた、悟りに至るには世俗の喜びを放棄して、長くて困難な道を歩まなくてはならない、と理解していました。超越瞑想という簡単な方法によれば、悟りの道は誰にとっても容易で至福に満ちたものとなる、とマハリシが話したとき、人々はたいへん驚きました。しかし、その彼らも、超越瞑想を個人的に経験してみるとすぐに、マハリシが非常に大きな実際的価値を持つ何物かを提供していることに気づくのでした。

ペナンで最初に瞑想を始めた人が当時のことを次のように報告しています。
「マハリシがペナンにいらっしゃったとき、その到着のニュースが広がって、実業家を含めて、たくさんの著名な人たちがTMを学びました。その中の一人に、体の調子がひどく悪い実業家がいました。彼は糖尿病と心臓病と高血圧に苦しんでいましたが、瞑想を始めて一週間ほどで、たいへん調子がよくなりました。そして、一カ月もたたないうちに、また仕事に復帰することができたのです。彼の回復のニュースが広がると、大勢の人たちが超越瞑想を習いにやって来ました。」

マハリシの到着を知らせる記事がペナンの新聞に掲載され、彼の教えが人々に伝えられました。「ストレイツ・エコー」と「タイムズ・オブ・マラヤ」は、一九五八年五月二十二日火曜日の紙面にマハリシのインタビュー記事を載せました。マハリシはその中で次のように話しています。

私の瞑想法によれば、長い時間をかけなくても、自分自身の内側に飛び込んで、「聖なるもの」の至福に満ちた本質を経験できるようになります。心に非常に悩みが多く安らぎがない人でさえも、毎日、朝と夕方三十分ほど簡単な瞑想法を実践するだけで、三、四日もすれば、心の平安が得られたと宣言するでしょう。私の瞑想法は、人に心の平安をもたらすだけでなく、エネルギーを与えてより多くの仕事ができるようにし、人生の物質面をも輝かしいものとします。私の瞑想システムは、物質主義と精神性をつないで調和させる黄金の鎖です。これは、地上における人間の生命を統合する直接的な方法です。私がペナンに滞在しているこの機会を皆さんが最大限に利用なさるようにお勧めします。

マハリシの教えは全ての宗教の真髄

ペナンに何週間か滞在した後、マハリシはクアラルンプールに行きました。そこからの手紙に、彼は次のように書いています。

マラヤの首都クアラルンプールに来ました。当地にもスワミ・サッティヤーナンダという優れた聖者がいます。博学で高い精神性を備えた人で、社会のあらゆる階層の人たちからたいへん親しまれています。彼はこの国の治安判事を務めています。・・・二つの学校と一つの孤児院と「純粋生命協会」という団体の運営もしています。無私の社会奉仕と高潔な人格のために、彼は政府の人たちの間でもたいへん尊敬されています。

スワミ・サッティヤーナンダはマハリシを心から喜んで迎え、たいへん親切にもてなしました。彼は講演会の準備をしたり、精神復活の集会を非常にうまく組織したりして、あらゆる仕方でマハリシを助けました。精神復活の集会は、六月一日から九日にかけてクアラルンプールで盛大に行われました。スワミ・サッティヤーナンダもマラヤの人たちに、マハリシの訪問というこの機会を十分に活用するようにと呼びかけました。

「実践的な英知のこのような教師がインドからやって来て、すべての宗教の精髄の光を広げようとしています。これは全ての国の人たちにとってまたとない機会です。彼の教えは、ただの放棄や禁欲主義とは違って、人生の物質的な価値と精神的な価値を調和させる教えです。これは今日の社会が必要としているものです。マハリシの教えは、全ての宗教の真髄である精神性と愛と幸福と倫理とを実践的に説いたものです。苦しめる人類が彼の神聖な教えによって祝福されるように祈ります。」(TM運動30年史より)
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花の外側の美しさだけでなく、内側の蜜も楽しんでください

一九五八年七月二十四日午後九時、ラジオ・マラヤがマハリシの話を放送し、何百万もの人々がそれぞれの家庭でその放送を聞きました。

「世界中のほとんど至る所で、誰もがみな日々の生活の心配や不安に苦しんでいます。人々は心の平安を感じていません。どうしてでしょうか? それは自分の願望を満たすことができないからです。人々は日々の生活の中で自分の欲求を実現する適切な手段を持っていません。

人々のこのような惨めな状況は、彼らが望むものは何でも手に入るという地位を得ないかぎり、いつまでも続くでしょう。最高級の永遠の幸福が得られるまで、人は常により多くを求め続けるでしょう。より大きな幸福を求めることは人間の当然の願いです。より大きな幸福を願うからといって、誰も非難されるべきではありません。地上の誰もが人生を最大限に楽しむべきです。私は、誰もがみな今この人生で最大の幸福を、天国の至福を楽しむようにと呼びかけます。

私の呼びかけは、花の呼びかけのようです。花はみんなに、花の外側の美しさだけでなく内側の蜜も楽しんでほしい、と呼びかけています。私はみんなに、超越瞑想という簡単な方法を通して生命の物質的な栄光だけでなく生命の内側の栄光も楽しんでほしい、と呼びかけています。

超越瞑想は、自然の粗雑な領域からより精妙な領域へと心を直接的に導いていき、ついには「絶対なるもの」の至福に満ちた領域へと至らせます。内側に飛び込んで大きな幸福を経験する、これは簡単なことであるとわかりました。これは、これまでに私のところへ来て超越瞑想を学んだ何千人もの人たちの経験です。誰もが最初の二、三回の瞑想で心の静けさを感じ始め、日々の生活の中に活力と幸福が増してくるのに気づきます。

至福を経験するためには長い間心を訓練しなくてはならないという考え方がありますが、私はこのような考えには賛成しません。心はすでにより大きな幸福を探し求めています。ですから、至福を経験するために心を長い間訓練する必要がどうしてあるでしょうか?

心を至福に導くために必要なことは、心が経験する領域を変えること、つまり心の向きを外側から内側に変えることだけです。内側に向かって進み始めさえすれば、心はすぐにより大きな魅力を感じ始めます。一歩進むごとにより大きな魅力を経験しながら、心は自発的に内側深くへと進んでいきます。求道者がみな気づくように、瞑想の実践を始めた最初から、心は内側の至福へと突進します。

正しい瞑想法によれば精神性は短期間のうちに容易に実現できる、ということに私は気づきました。人はこの現世で、今すぐにでも、永続的な平安と幸福を見いだすことができるのです。なぜなら、遍在する神聖な至福は全ての人の心の中に存在しているからです。」(TM運動30年史より)
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精神性への道のりをゼロにする
ヒマラヤから打ち上げられたプルートニク


1958年8月、マハリシはマラヤに「精神復活運動」のセンターを五つ設立しました。ペナンのセンターの発足は、報道関係者や数多くの著名な市民が集まり、マハリシの臨席のもと、ペナン市長が開会式を執り行いました。

新しいペナンのセンターの責任者は、歓迎のあいさつの中で、「ペナン精神開発センター」が設立されたいきさつを次のように述べました。

「人生で平和と幸福を楽しみたいという、人間だれもが生まれながらに持っている願いが、実は、世界中いたるところで精神性が求められてきた根本の原因であると言えます。ペナンの教養ある人たちは、世界中の他の場所の教養ある人たちと同様に、カーストや信条や国籍に関係なく、万民のために人生の難問を解くことができる精神的な指導者が必要であると、いつも思い続けてきました。国際都市ペナンの人たちは、人生に付きまとう病気や苦しみの原因を明らかにし、日々の生活の悩みや不幸を癒すことのできる教師をずっと待ち望んでいたのです。

二カ月ほど前、マハリシは私たちの町に全く見知らぬ人としてやって来ました。しかし、何人かの好運な人たちが彼の偉大さに気づいて、彼に町で講演してほしいと頼みました。マハリシの話から、彼の実践的な英知が非常に崇高なものであり、彼が人々の日々の生活に平安と幸福をもたらす能力を備えた人であることが明らかになりました。最初、超越瞑想というマハリシの実践的な教えは、大きな驚きをもって受け取られました。しかし、指導を受けた人たちは、次第に、マハリシの教えの一言一言が本当であったと気づくようになりました。

人々は、この瞑想法がたいへん容易であり、しかも、日々の生活に平安と幸福をもたらすのに効果的であると気づきました。その上、活力が増し元気が出てきますから、より多くの仕事をより能率的にこなすことができるようになります。人々は、マハリシの瞑想指導が人生の物質的、心理的、精神的な栄光全ての扉を開く鍵であると、体験を通して知ったのでした。

学生たちは、瞑想が頭の働きを大いに改善することに気づきました。高齢の人たちは、瞑想が活力を取り戻すのに大いに効果的であることに気づきました。様々な人たちが、瞑想が社会のあらゆる領域への贈り物であることに気づきました。瞑想を学んだほとんど全ての人が、個人的な平安や幸福はもちろんのこと、周りの環境や雰囲気までが調和的になるのを経験したと言っても過言ではありません。

私の友人の一人も、人生におけるこのような大きな効果を経験しました。彼は超越瞑想の実践を始めた二日目に次のように言いました。

『これはヒマーラヤからの精神的なスプートニク(ソ連が一九五七年に打ち上げた人類最初の人工衛星)だ。精神性への道のりの時間と空間をゼロにしてしまった。これまで、精神性への道は非常に困難で、長く厳しい心の訓練が必要だと考えられていたのに。』

この精神的なスプートニクの大きな恩恵を何百人もの人が経験したので、私たちは永続的なセンターを設立することに決めました。この簡単で効果的な精神開発法をさらに多くの人たちに知らせて、ペナンとマラヤの私たちの同胞全てを助けたいと思ったのです。ペナンセンターの発足が市長により宣言されるのは、個人にも社会にも、私たちの人生に平和と幸福と調和が行き渡る時代が来たことの証拠と言えます。 私は、このことを表明できることをたいへん幸せに思います。」(TM運動30年史より)
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「心の落ち着きが道徳的な質を高める」

一九五八年の夏、植民地シンガポールは英国から自治権を獲得し、完全な独立への基盤を固めているところでした。このような変化と進歩の雰囲気の高まりの中で、八月十七日、シンガポールセンターが開設されました。

ヴィクトリア記念ホールの舞台は、グル・デーヴの肖像画が置かれて、美しい花で飾られました。ホールはシンガポールの最も優れた市民たちで満員となり、報道機関や、シンガポールのリム・ユー・ホック首相もこの会に出席しました。リム・ユー・ホック首相は、センターの発足を公式に宣言した後で、次のように述べました。

「勇気とか忍耐とかといった道徳的な質について話すとき、これらはどれも個人の内側にあるものです。市民一人一人の内側の質がどの程度まで道徳的であるか、それによって私たちの社会の質も決まってきます。超越瞑想によって心の落ち着きを取り戻すことで、道徳的な判断を確かなものとすることができます。……私たちの精神というヘッドライトは、日々の生活という道を走っているうちに泥がかかってしまいました。私たちはその泥を洗い落として、バッテリーを充電しなくてはなりません。そして、光を本来の明るさにまで強めなくてはなりません。これが瞑想する目的です。」

長い間、精神的成長を願っていた人たちは、マハリシの超越瞑想という簡単で努力のいらない技術を知って、大きな安らぎと喜びを感じました。このような人たちの気持ちは、シンガポールのある有力な実業家のスピーチによく表されていました。

「私は十代の学生の頃から、真理と精神の至福を見いだしたいという強い願いを持っていました。心の平安と幸福を得るための方法を発見しようと、非常な努力をして多くの書物を読んで勉強しました。しかし、これといった成果は何も得られませんでした。たくさん勉強すればするほど、かえって不安や心配が大きくなっていくというありさまです。真理を見出すことができず、悩みはますます募る一方でした。しかし、マハリシがシンガポールに到着されたときから私の喜びが始まりました。私はこの方法はたいへん簡単であると知り、すぐに超越瞑想を始めました。

瞑想を始めて三、四日で、言葉には尽くせないような幸福や落ち着きや平安を味わうことができました。今では、精神的な活力と幸福にいつも満たされています。マハリシはヒマーラヤのように壮大で、しかも子どものように謙虚でいらっしゃいます。真理のように偉大で愛のように単純でいらっしゃいます。 誰もがみな自分の内側に「聖なるもの」を悟ることができるように、万人の心の中に至高の知識の種を蒔きたい。このようにマハリシは愛に満ちた心で切に願っておられます。このことを目標に掲げ、今日、マハリシの祝福のもとに、シンガポール瞑想センターの開設式が行われています。」

マハリシは、自分が世界中を旅している間もマラヤとシンガポールのセンターが発展し続けるようにと、四人の瞑想者を「精神的な案内者」としました。 マハリシはそこでの運動がしっかりと確立されたことを知って喜び、次に香港へ飛びました。(TM運動30年史)

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「知識の海から流れ出る言葉」

一九五八年十一月七日に、香港で精神性センターの発足式が行われました。センターの発足を象徴するグル・デーヴの肖像画の除幕式は、香港の著名な治安判事ヒン・シン・ロー氏により執り行われました。センター開設式に出席したある人は、その時のことを次のように述べています。

開設式のあいさつの後、その日の教えが聖なるマハリシ・マヘーシュ・ヨーギーによって説かれました。ホールに響き渡るマハリシの甘い声には不思議な力があります。甘さと論理と威厳を備えた彼の話は、学識ある聴衆の理性を引き付け、心情をとりこにします。それは、私たちの理性と心情の両方を満たしてくれる神聖さの表れでした。

科学的な説明と説得力ある議論を加えながら、簡単で分かりやすい言葉で悟りの哲学が説かれるとき、そこには独特の魅力がありました。それは精神性という一点に収束していく歴史であり、哲学であり、宗教であり、科学でした。

私は、『ウパニシャッド』の中の誰か有名なマハリシ(偉大な見者)が再び人間の形をとって、偉大なヒマーラヤの教えを説いているのではないかと思いました。古代の見者が再び現代に現れて、ヒマーラヤの静かな洞窟や幸せな谷にある偉大な平穏、静寂、神聖、至福をこの商業都市の喧騒の中にもたらそうとしているかのように感じたのです。

流れるような話に誰もがすっかり心を引き付けられていました。話を聞くのに専念するために、目を閉じている人もたくさんいました。マハリシの言葉は、知識の海から流れ出る静かで力に満ちた流れのようです。それは聞く者の心を静める言葉です。彼が話し終ったとき、場内は心地よい夢から覚めたかのようでした。

私の友人たちはみんな、「彼の話は何時間でも聞くことができる。」と言いました。ヒン・シン・ロー氏が私に尋ねました。
「マハリシはどこで英語を学ばれたのでしょう?」
私は答えました。
「マハリシは全ての学問の源から、全ての言語の源から話していらっしゃいます。」
マハリシが語ったまさに最初の言葉が、彼の教えの普遍性を明らかにし、聴衆の心情と理性をとりこにしました。(TM運動30年史より)

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「TMが人生にもたらす効果は絶大!」

香港瞑想センターの開設式で、超越瞑想を二、三週間前から実践している人たちが自分たちの体験を発表しました。そうした瞑想者たちの体験によって、マハリシの教えが誠意ある偉大なものであることが立証されました。ある瞑想者(実業家)は、次のように語りました。

「香港瞑想センターが開設されたことをたいへんうれしく思っています。特にこの植民地の私たち若い世代にとって、これは大きな喜びです。なぜなら、マハリシの教えは、超越瞑想を通して人生を統合する教えだからです。私は実業家として、物事を感情的にではなく、その純粋な損得という観点から見るように訓練されています。

私の一日の生活を注意深く振り返ってみると、自分の内側で何か変化が起きているのを感じます。この瞑想とともに、何か深い意識が発達し始めたように思います。人生のさまざまな出来事は、次第に心の表面レベルで感じられるようになりました。内側では静寂が増しています。仕事のプレッシャーもあまり感じなくなりました。忙しい仕事をしている最中でさえも、心の中に静けさを感じます。人に対して怒ったりすることもずいぶん減りました。以前と比べると自然に寛大になったようです。もっともこの点に関しては、私自身よりも私の部下の方がありがたく思っているようです。

今では心の平静と平安が得られたために、私は実業家として、自分の能率が増し、能力が向上しているのを感じます。人間関係においても、自分の姿勢が明らかに変わってきたことに気づきます。社交の場に出ているとき、以前は自分自身の気分を楽しんでいたのですが、今では友人たちみんなが幸せそうにしているのを楽しむようになりました。

私は人生の精神的な面は詳しく知りませんが、超越瞑想が私たちの実際的な人生に生み出す効果は絶大です。この瞑想法は、この世界で平安と幸福に満ちた人生を生きるための秘訣であると思います。一般の人々は、瞑想は人間と神をむすびつけるものという印象を持っているようで、神を必要としない人たちは瞑想も必要ないと思っています。しかし、超越瞑想を学んで三週間の私の体験から言うと、マハリシの瞑想は心の悩みに平安をもたらし、人生の混乱に秩序をもたらすためのものです。

マハリシの瞑想を行ってみて最も驚いたことは、自動的にできるということです。まったく緊張を感じません。瞑想しようと努力しなくても、全てが自動的に進んでいきます。瞑想はひとりでに進んでいきます。水がひとりでに斜面を流れ落ちていくように、心は自然に内側の幸福の大海、至福へと向かっていきます。 それが全ての人の人生のゴールです。」

一九五八年十二月二十一日、マハリシは、太平洋の島ハワイを経由してアメリカに飛ぶことになりました。出発の前、香港の空港に見送りの人が大勢集まりました。ある人がマハリシに、ホノルルではどこに泊まるのかと尋ねました。マハリシは答えました。
「知りません。」
「どこか当てがあるのですか?」
「いいえ。」
人々は驚いて互いに顔を見合わせました。そうこうしているうちに出発の時間になり、マハリシは急いで飛行機に乗るように求められました。その人は大きな声でマハリシに言いました。
「ワツマルという人がいます。ホノルルに着いたら彼に電話をしてください。そうしたら、彼が段取りをつけてくれるでしょう。」

このことは、これから行く所についてマハリシがまったく気楽にしていた、ということを示しています。マハリシはただ進んでいくのみでした。どこへ行こうと、自然が彼を支援してくれました。(TM運動30年史より)

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「花の教え」をハワイにもたらす

マハリシはハワイには二日滞在する予定でしたが、自然がハワイの幸運な人々の運命に微笑みました。飛行機が出発する二時間前に、ホノルルのある有名なピアニストが、マハリシが通りを歩いているのに出会いました。彼は啓発を求める人でしたので、マハリシにせめてもう一週間ハワイにとどまって人々に知識の恩恵をもたらしてくださいと頼みました。マハリシは一週間ばかりか一ヵ月もとどまって、彼の英知の太陽の光をハワイにもたらしました。

一九五八年の最後の日に、ハワイの新聞「ホノルル・スター・ブレティン」は次のような記事を掲載しました。

一銭もお金を持たず、人に何かを求めることもない。世俗的な所有物といえば片手で運べるわずかのものばかり。マハリシ・マヘーシュ・ヨーギーは、今、世界を巡る長い旅の途上にある。彼の伝える教えは、「全ての悪や堕落の根本原因」である不幸と不満を世界から取り除くという。彼の教えは「花」の教えであり、「ヒマラヤからもたらされた太古からの教え」である。マハリシは次のように語っている。

「花を楽しむのと同じように、人生の外側の美しさだけでなく内側の甘い蜜も楽しむべきです。私の方法は簡単です。非常に簡単です。何もしなくてもよいのです。準備は何もいりません。それは超越瞑想という方法です。毎日、数分間だけ、心を内側へ行かせます。私は世界中の全ての人に幸福をもたらしたいと思っています。この瞑想は至福に満ちた平安と幸福に導いてくれます。これは全ての人のためのものです。豊かな人、貧しい人、宗教的な人。神を信じない人でもかまいません。富を貯えたり生活を快適にすることは悪いことではありませんが、物質的な人生の魅力は、内なる「真我」の輝きによっていっそう明るいものになるのです。」
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花が香りを放つように
マハリシは自然に愛を放ちます


一九五九年はハワイの太陽と同じくらいに輝かしい希望とともに始まりました。前年、マハリシはアジアを回って、各地に瞑想センターを設立しました。そして今、マハリシはホノルルにいます。ホノルルには一ヵ月滞在しました。

ハワイのある瞑想者は、当時のことを次のように書いています。

『マハリシの教えは簡単で直接的です。それは、「神の王国は汝の内側にある」という、あらゆる偉大な信仰のエッセンスです。彼は具体的な技術を与えてくれます。それは最も内側にある真実すなわち個々人の「真我」へと向かうまっすぐで揺るぎない道です。

彼の瞑想法は、すばやく容易にできるという点で、西洋にとっても東洋にとってもユニークです。朝と夕方、ただ十五分くらい行うだけです。マハリシは生活の規則を設けることはしません。あれをしなさい、これをしてはいけない、とは言いません。何でもあなたのしていることをしてください。しかし瞑想もしてください、と言うのです。』

この瞑想者はさらに次のように書き加えています。

『マハリシ自身が、彼の言葉の生きたシンボルです。花が香りを放つように、彼は自然に愛を放ちます。誰でもいつでも彼に会うことができます。優しさと、どんな科学的な考え方の人をも満足させる英知とをもって、どんな種類の質問にも答えてくださいます。一晩に二、三時間の睡眠と、一日に一回の食事で、信じられないほどの活力と行動力です。しかも、どんな状況にあっても完全にくつろいでいらっしゃいます。』
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最初の新聞記事「薬でない精神安定剤」

一九五九年一月二十九日、マハリシはついに、彼が世界で最も創造的な国と名付けた国、アメリカに到着しました。到着したときから、アメリカの人たちは誠実な温かさと気前のよさをもってマハリシを迎え入れました。彼らはマハリシの存在によって祝福されていると感じ、彼がもたらした純粋知識の贈物を大切にしました。

マハリシは二月から三月にかけて、サンフランシスコで何回も講演会を開きました。彼はこれらの講演で、瞑想が西洋的な考え方を豊かにすること、瞑想が日々の生活を平和で幸福なものにすること、瞑想のもっている治癒力のこと、瞑想が個人の意識に至福をもたらすこと、などについて話しました。そして、三月三十日には、宗派や党派を超えた非営利の教育団体として「国際瞑想協会」がサンフランシスコに設立されました。

サンフランシスコの新聞に載った最初の記事の見出しは、「薬でない精神安定剤」というものでした。そこには超越瞑想は不眠症を治す一つの手段であると書かれていました。マハリシを敬愛している人たちは、非常に喜んでこの記事を彼のところへ持ってきました。マハリシは記事の内容を聞いて非常に落胆し、何分間も沈黙したままでした。

しばらくしてから、記事を持ってきた人が言いました。「とてもよい記事ですね。」
マハリシは何も答えません。その人は尋ねました。「どう思われますか?」
マハリシは一言、言いました。「ひどいことです。」

それからマハリシは、インドでは人々は啓発のために、つまり完全に目覚めるために瞑想を始めるのだ、と彼に説明しました。ここでは、それを初めて試してもらったところ、眠るための手段であると公言されたのです。マハリシは言いました。
「わたしはすぐにでも帰りたい気持ちです。ここは奇妙な国のようです。ここは価値観が違います。」
 
しかし、しばらくしてからマハリシは、「私はこの国をもっと経験してみようと思います。」と言いました。そして、こう付け加えました。
「大切なことは、どんな理由で超越瞑想を始めようとも、人々はそれが生み出す効果の全部を得る、ということです。人々が到達するゴールは完全な悟りです。ですから、人々がどのような角度から近づこうと、私はそれを気にするべきではないでしょう。TMを始めたときに、人々は望んでいた以上のものを楽しむようになるでしょう。」

「純真さは偉大な質です」

maharishi_mahesh_yogi.jpg一九五九年四月二十九日の朝、マハリシはサンフランシスコからロサンゼルスへ飛びました。空港では、ホノルルやサンフランシスコの瞑想者たちの友人や関係者大勢が、花と笑顔でマハリシを迎えました。マハリシがロサンゼルスを訪問したのは、一人の瞑想者がマハリシを招待したからです。この人は、ハワイの友人たちからマハリシのことを聞いて、サンフランシスコへ行って瞑想を学んだ人でした。

到着するとすぐにマハリシはロサンゼルスのアンバサダーホテルで記者会見を行いました。この地域の主要な新聞社から十数名の記者やカメラマンが取材にやって来ました。ロサンゼルスでのこの最初の記者会見は歴史的な出来事とも言えます。マハリシがこれだけの数の西洋の報道関係者に会ったのはこれが初めてだったからです。彼らが精神的な事柄について書くのは不慣れだということは、記者会見の最初から明らかでした。しかし、彼らもまた、マハリシの教えの豊かさをよく理解することができました。この記者会見について、当時の精神復活運動の雑誌「神聖な光」は次のように伝えています。

マハリシは待っていた記者たちにいつもの笑顔であいさつしました。・・・彼らの中の一人が、マハリシの訪問についてなにも資料が手に入らなかったのでどういう質問をしたらよいかわからない、と言いました。マハリシは、
「記者会見を始めるのにちょうどよい質問ですね。」
と答えました。この答えを聞いて記者たちはみなマハリシと一緒に笑いました。次にマハリシが、
「神聖な道においては、純真さは偉大な質です。」
と付け加えると、記者たちは真剣になって、すぐにメモをとる準備をしました。
「私はヒマーラヤから、このテンポの速い現代生活の中で誰もがみな必要としているものをもって来ました。」

マハリシはこう言ってから、記者たちがそれについて考えることができるように、少し間待ちました。誰かがその言葉をもう一度繰り返してほしいと頼みました。マハリシはもう一度繰り返して、それに続けて言いました。
「私は、古代の賢者たちの国からこの新世界の現代人に、平安と幸福の中に生きるための一つの簡単な技術をもって来ました。」

それは非常に興味深い記者会見で、九十分ほど続きました。マハリシは、瞑想を通して人々の日々の生活に内面の満足と平安をもたらすことで世界から戦争の恐怖を取り除く計画について話しました。戦争をなくそうとする政治家たちの試みについて、意見を求められたとき、マハリシは次のように答えました。

政治の局面は常に変化しています。それ自体が常に変化しているものが永遠のものを確立することはできません。政治を基盤とした平和は決して安定したものではありません。なぜなら、政治は常に変化しているからです。それに、政治家が国際平和を確立しようとしているのは、恐怖がそのもとにあるからです。何でも恐怖に基づいているものは、決して建設的でなく、安定していません。

庭を緑にしようと思うならば、一本一本の木を緑にしなくてはなりません。世界平和は、世界中の一人一人が内面から平和になったときに初めて確立されます。そしてこのことは、超越瞑想という私の簡単なシステムを普及させることによって直接的に達成することができます。これは、人をすぐに平和で幸福にする方法です。

同じような目標を掲げる他の組織について尋ねられたとき、マハリシは、それらにも立派な目的があるだろうが、しかし、その価値は限られている、なぜなら、その目的を達成する方法がまったくないからだ、と説明しました。他の組織は人間の内面を変えることができません。必要なのは、現代生活の外面の成長と物質的な発展を妨げることなく人間の内面を平和で満足したものに変えることができる、そのような実際的な方法であるのです。「精神復活運動」は、このような実際的な方法を世界中のすべての市民に提供する計画です。

「世界中を精神的に復活させる私の方法はユニークです。なぜなら、この方法はすぐに学んで実践できるからです。」
 また、マハリシは記者たちに次のように語りました。
「私の人生が本当に始まったのは、十九年前のことです。私は私の先生のもとで、速くて深い瞑想の秘訣を学びました。私はその秘訣を、今、世界に伝えているのです。」
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「それはとても自然に、口コミで広がっていきました。」

デヴィッド・ヴェリル博士

私たちは友人から、ある人がインドからロサンゼルスに瞑想を教えに来るという話を聞いて、その人が到着したらすぐに講演を聴きに行こうと決めていました。1959年11月10日に、私たちはSixth and Alexandriaのセンターに出かけました。そこで私たちは初めてマハリシに会いました。

翌日、私たちは超越瞑想法の指導を受けました。それは1959年の退役軍人の日でした。私たちが指導を受けた場所は、オルソン家の裏庭に建てられた小さな瞑想用の家でした。その家は、ヘレン&ローランド・オルソン夫妻がマハリシのために建てたものです。その後、マハリシが町を去るまで、私たちは毎晩そこに行きました。私たちのグループは、オルソン家の居間に座って、マハリシにたくさんの質問をしました、私自身もいくつかの質問をし、そのすべてに答えてもらいました。

そうしたことがとても自然に口コミで広がっていきました。私たちは私たちの友人に話し、他の人たちもそれぞれの友人に話しました。そのため、毎晩、何人かの新しい人々が加わり、常連の人数が多くなりました。

それは最初から世界的な運動になるように計画されていました。人々がインドに行って、マハリシのそばで学んで教師になり、そして教えるために戻ってくる、という構想でした。

私たちは次々とコースに参加しました。サンタ・カタリナ島では2回、バンクーバー島では1回参加し、カナダのエメラルド湖のコースと、タホ湖のコースにも参加しました。1967年には、インドに行って教師養成コースにも参加しました。1977年に退職した後、ガバナー養成コースを受け、そのときからフルタイム教師になり、以後21年間にわたってナショナル・アドミニストレーターとして働いてきました。

私は先週、地元の教師のもとを訪ねて、TMを学ぶコースの4日目の指導を受けに来ていた男性に出会いました。その人は、前の日に瞑想した後で、とても良い結果があったことを話してくれました。

「あなたはどれくらいやっているんですか?」と彼が私に尋ねました。

「38年間やっていますよ」と私は言いました。

「私が生まれるよりも前ですね!」と彼は答えました。

デヴィッド・ヴェリル博士と彼の妻のジェサミンさんは、マハリシが1959年に初渡米したときに超越瞑想法を学びました。マハリシは、ヴェリルさんを北米でのマハリシの組織の「創立者」として称えています。

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 一九五八年に、マハリシはインドを旅立ち、世界中を回って超越瞑想を教えてきましたが、どこの国に行っても非常に大きな反響がありました。その一例として、一九六一年にマハリシがギリシアを訪れたときのエピソードをご紹介いたします。次の文章は、ギリシア訪問に同行していたヘンリー・ナイバーグ氏が記したものです。

                 ☆ ★ ☆

 ギリシア行きの飛行機に乗り込むときにマハリシが言いました。『アテネでは何か準備ができているのですか? もし何も準備がないのであれば、静かな時を過ごし、ゆっくり瞑想を楽しむことができますね。』マハリシは、それまで四日間寝ていなかったので、飛行機の中ではほとんどの時間休んでいました。アテネに着いたときに連絡する人のあてはまったくありませんでした。

 ところが、私たちがアテネに到着したら魅力的なギリシア人の実業家夫婦が出迎えに来ていました。彼らは私たちを大きな車に乗せて、アテネの最高級ホテル、キングジョージホテルのすばらしいスウィートルームまで連れて行ってくれました。部屋は美しい花でいっぱいでした。全ては、ロンドンのある熱心なギリシア人瞑想者が手配してくれたのでした。

 マハリシはすぐに大きな記者会見を行いました。アテネの主要な新聞社の記者たちが集まり、カメラマンたちがマハリシの周りで盛んにシャッターを切りました。いつもそうなのですが、シーズンオフで空いているホテルにマハリシが到着すると、ホテルはすぐに客で満員になります。不思議なことに、あちこちから人が集まってくるのです。彼らはどのようにしてマハリシが来るのを知るのでしょう。マハリシの部屋はすぐに人で一杯になり、廊下でもたくさんの人たちがマハリシに会う機会を何時間も待っています。

 夕方、非常に大きなホールで講演会を開きました。たった四日間の広報しかできなかったので、少ない人数しか集まらないと思っていました。ところがどうでしょう。ホールはたくさんの立派な聴衆で満席になり、非常に多くの人が立ったままでいたり、テーブルの上に座ったりしていました。マハリシは講演し、聴衆は大きな関心を示し、たくさんの質問がなされました。古代に偉大な文化を花開かせたギリシアの人たちの優れた知性がうかがわれるようでした。マハリシは、超越瞑想を学びたい人は私に名前を告げるようにと言いました。すぐに私の周りに大勢の人たちが集まって来ました。

 翌朝七時からマハリシは、瞑想を希望した人たちの個別面接を始め、それに続いて瞑想の指導を行いました。しかし、十時半ごろになると、あまりに多くの人が集まったので、ついに警察がやって来ました。ギリシアの法律では、大勢の人が集まるときには特別な許可をとる必要があったのです。人々はマハリシの講演を聞いた後、すぐにも瞑想を学びたいと思いました。人々のこの気持ちは非常に強く、瞑想の指導を先に延ばすのは不可能に思われました。瞑想指導のための準備をした人たちは、このような興奮の中で、市当局から多人数の集会に対する許可を取ることを忘れていたのです。

 それでもマハリシを訪問する人の流れは絶えませんでした。彼らはなんとかしてマハリシの部屋への道を見つけてやって来ました。彼らは一つのグループにまとまって、マハリシから約束を受け取りました。それは、彼らが事前に必要な許可を取ることができたら、その年の春にマハリシがインドからヨーロッパに戻る途中でアテネに立ち寄る、という約束でした。

 その日の夕方、アテネ大学で千人以上の学生がマハリシの話を聞きました。マハリシは学生たちに特別な話をしました。学生たちは熱心に聞き入り、割れるような拍手が何度も起こりました。最後に学生たちは多くの質問をしました。そして、マハリシが帰るときには、学生たちは彼の周りに押し寄せて、車で帰って行くのを見送りました。

 次の日、BBCテレビがマハリシを取材しました。BBCはインタビューの場所として、古代ギリシアの栄光の一つであるアクロポリスを選びました。ホテルからアクロポリスまで、BBCの記者がマハリシと同行します。その途中で、私は両替のため銀行に寄りました。マハリシも一緒に銀行に入って、静かに座って私の両替の手続きが終わるのを待っていました。

 すると一瞬のうちに、立派な銀行の中で大勢の人たちがマハリシの周りに集まって来ました。BBCの記者はテレビのニュースのためにマハリシから運動の話を聞いていました。また、もう一人の新聞記者も新聞記事のためにマハリシの話を聞いていました。そこへ、たくさんの人たちがマハリシに話すために、あるいはただ話を聞くために集まって来たのです。それでマハリシは銀行の中で超越瞑想について短い講演を始めました。銀行員の人たちはさぞかし驚いたことでしょう。

 BBCのテレビインタビューの一部は、二千年前に聖パウロがギリシアの人たちに福音を伝えたのと同じ岩の上で行われました。このテレビインタビューのフィルムはすぐに航空便でイギリスに送られて、その日の夜と次の日にラジオで放送が行われました。日本、オーストラリア、ニュージーランド、アメリカ、南アフリカ、ヨーロッパのほとんどの国など、全世界の一億人がこの放送を受信しました。

 私たちはそれからホテルに戻りました。マハリシは午後六時の出発の時間になるまで、いろいろな人たちと会っていました。大勢の人たちがマハリシの見送りに空港まで来ました。空港で働いている人たちも含めて、すぐに大きな人混みができました。この間、空港まで来たというのに、まだアテネからマハリシあてに電話が何本もかかってきました。二人の学生が珍しい白い花の花輪をマハリシの首にかけました。この花輪は、今回のマハリシのギリシア訪問を準備したイギリスのギリシア人瞑想者からの贈り物でした。そうして、マハリシは手を振ってギリシャを発ちました。アテネ滞在が二日間だけであったとはとても信じられません。(TM運動30年史より)

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 今回はTM運動30年史のなかから、マハリシが『バガヴァッド・ギーター』の注釈を行ったときのエピソードをご紹介いたします。『バガヴァッド・ギーター』の注釈は、1961年にヒマラヤで行われた第一回TM教師養成コースから始まり、その作業は数年間にわたって続けられました。1964年に、マハリシは、1ヶ月間、北カリフォルニアのタホ湖のほとりに家を借りて『バガヴァッド・ギーター』の注釈に専念されました。このとき、タホ湖でその作業を手伝っていたヘレナ・オルソン婦人は、マハリシと共に活動する喜びを次のように記しています。

                 ☆ ★ ☆

 家の前には湖の岸が広く広がっていて、マハリシは夕方になるとよくそこへ散歩にお出かけになりました。マハリシの散歩のときはいつもなら大勢の人がご一緒するのですが、ここでは一人か二人だけを伴って静かな散歩を楽しまれました。みんな、山腹を覆っている高い松の木や金色のポプラの木を楽しみました。海抜一、八〇〇メートルほどのところだったのですが、天気は理想的でした。タホ湖に住んでいる人たちは毎日のようにこう言いました。「今年の十月はこれまでにない快適な十月です。いつもなら、もういまごろには寒くなって霜が降りるのですが。」

 マハリシの仕事のペースは非常に速くて集中していました。一瞬たりともむだにされる時間はありませんでした。「万物の夜は啓発された人にとっては昼である」とマハリシはおっしゃいます。湖を見おろす二階で、マハリシは昼も夜も座って、乾燥して干からびた世界にみずみずしい『ギーター』のメロディーをもたらしています。

 ある日の夕方、マハリシはみんなをつれて湖の砂浜に出ました。そこで、夕日のかすかなピンクの光りによって、『ギーター』の注釈を書き続けようというのです。

 時間にはまったく意味がないように思われましたが、夕日が沈み、太陽の最後の光りが地上を去った後にやって来た夜のことはみんな気づいていました。中断したくはなかったのですが、私はこう言わなければなりませんでした。「マハリシ、私は自分の書いた字が見えなくなりました」。「だいじょうぶです。見ないで書くことができますか?」 マハリシにこう聞かれて、私は「はい」と答えました。「ただ、書いたことを読み返すことができません」。「おお」マハリシは笑っておっしゃいました。「それなら、読み返すようにはお願いしないことにしましょう」。そして、矢のような速さでまた『ギーター』の中へと戻っていかれました。

 注釈の仕事はそのようにして続いていきました。時々、マハリシは視線を上げて少しの間お考えになりました。そのようなときにマハリシのお顔に輝く美しさは、それを見る人の喜びでありました。まもなくたくさんの星が出てきました。星たちはこんな夜遅くまで湖の岸に座っている人たちを見て不思議に思ったことでしょう。ついにある人が言いました。「家に行って手下げランプを持ってきましょう。」私はうなずきました。しかし、彼が家に行って見つけてきたのは、何本かのろうそくとランプのほやでした。それで私たちは小さな明りを得ることができました。マハリシは火のともったろうそくを見て、おっしゃいました。「この『ギーター』の注釈はガンジス河の岸辺で、夜に、これと同じようなろうそくの光りの中で始まりました。」

 グループが家に戻ったのは夜の十時でした。他の日には、十時よりももっと遅くまで仕事をすることもありました。『ギーター』に隠れている知識を明らかにすることの喜びには限界がないようでした。

 アーサー・グランビルはマハリシと一緒に座って彼の言葉を書き取ることを楽しんでいました。アーサーはいつもは夜の十時においとましていたのですが、ある晩には、インスピレーションの流れにすっかり夢中になって何時間も過ぎたことに気が付きませんでした。午前三時にマハリシが彼にお尋ねになりました。「もうやめにしますか?」 アーサーはまだ元気で眠くはありませんでしたから、「いいえ、私は大丈夫です」と答えました。すぐに三時半になりました。マハリシは私たちみんなを見ておっしゃいました。「もうやめにしますか?」 しかし、私たちが答えない内に、マハリシはお続けになりました。五時になったとき、マハリシはまたおっしゃいました。「さあ、やめにしましょう」。しかし今度は、だれもやめたくありませんでした。みんな元気になっていました。夜の闇は夜明けの中に溶けていきました。夜のタマスはサットヴァのすがすがしい波によって消滅しました。『バガヴァッド・ギーター』の最初の章の注釈が夜の闇に打ち勝ったのです。(30年史より)

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 一九七五年の世界ツアーで、マハリシはアメリカで非常に人気のあるテレビ番組に出演し、その放送後、TMセンターの前に瞑想を学びたいという人々の長蛇の列ができたといわれています。今回は、そのときの番組の模様をご紹介いたします。以下の文章は、マハリシに同行していたロバート・オーツ氏が記したものです。

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 マハリシは、控え室でショーの司会者のマーヴ・グリフィンといっしょにいます。テレビの録画撮りがもうすぐ始まろうとしています。

 三千万人の人たちが、このショーを視ると推定されています。マーヴ・グリフィンに実際に会ってみると、彼はテレビで視るとおりの気さくで親しみやすい人でした。視聴者たちは、彼のそうした人柄が気に入っています。彼の番組をテレビでよく視ている人たちにとっては、彼はなじみ深い、くつろげる人物であり、いわば茶の間の友人といったところです。

 一方、マハリシ・マヘーシュ・ヨーギーを視るのは、この番組の視聴者たちの大部分にとっては、まったく初めてであると思われます。

 さあ、準備は完了しました。客席のライトが消されて、舞台の幕が上がります。三千万人の人たちが、このショーにチャンネルを合わせています。

 まず、マーヴ・グリフィンが舞台の上に進み出ます。彼はそこで振り向いて、テレビカメラを背にして、観客といっしょに拍手でショーのゲストを迎えます。長い髪と白いひげのゲストが舞台に登場します。ゲストは、白い絹の服を着ており、花を腕いっぱいに抱えています。彼の顔は大きく微笑んでいます。彼は観客の全体を見渡すように視線をゆっくりと動かして、目で歓迎の拍手に応えています。明らかに、ゲストであるマハリシ自身も、ショーを楽しんでいるようです。

 スタジオに集まった観客の多くは、マハリシから直接、訓練を受けたTMテクニックの教師たちです。観客からの拍手が温かいのは、観客がマハリシのことをよく知っているからです。しかし、テレビを視ている人たちのほとんどは、マハリシのことをあまりよく知りません。おそらく、視聴者たちは、マーヴ・グリフィンがどうしてマハリシをゲストとして招いたのかと、疑問に思っているでしょう。この疑問は、次のように、すぐに答えが与えられます。

 マーヴ・グリフィンは腰を下ろしながら言います。
「まず、みなさんにくつろいでもらおうと思います。今日のショーは、私自身もTMテクニックを行っているということから、始めることにしましょう。」
 彼はイスにもたれて微笑みながら、拍手が鳴りやむのを待ちます。
「私は九日前に始めました。」
 彼は言葉を続けます。
「これまでで、こんなに調子がいいのは初めてです。」

 ショーは、なかなか順調な滑り出しです。マーヴ・グリフィンは、話を先に進めていきます。
「クリント・イーストウッドが私にTMを勧めてくれました。おかげでテニスがうまくなりました。」
 彼はそう言って、微笑みます。
「TMプログラムは、多くの公立学校でも教えられています。企業や病院やスポーツチームや軍隊でも利用しています。ペンシルバニア州、マサチューセッツ州、ニュージャージー州などの州政府も、いろいろなプロジェクトのために、TMプログラムを取り入れています。」

 彼は話を続けていきます。
「先週、デトロイトでは、裁判官が、麻薬を乱用した若い犯罪者に対して、TMテクニックを四年間、一日二回ずつ行うようにという、判決を言い渡しました。」
 観客から笑いと拍手が沸き起こります。ここで、マハリシが初めて話し始めます。
「これは悟りの時代の判決です。人は自己の全潜在力を開発するようにという判決が、法によって言い渡されるのです。」

マハリシの言葉が、話の流れを変えるのによいきっかけとなります。マーヴ・グリフィンは、TMについての基本的な事柄へと話題を切り替えていきます。
「いくつか誤解があるかもしれませんから、まず、それをはっきりさせたほうがよいでしょう。TMテクニックは宗教とは関係ありませんね。」

 マハリシが答えます。
「関係ありません。これはテクニックです。深い休息を得て、心と体を活性化するための実際的な方法です。」
「TMは私たちに受身的であることを勧めるものではありませんね。」
「そのとおりです。休息は活動の基盤です。TMテクニックは、行動的になり行動において成功を収めるための能力を、増大します。心が力強くダイナミックになるだけでなく、体もよりよく機能するようになります。」
「ジョー・ナマス(アメリカン・フットボールの有名な選手)のパスがよく通るようになるのですね。」
「そのように聞いています。たくさんの優れたスポーツ選手がTMテクニックを楽しんでいます。」
マーヴ・グリフィンの態度は完全に肯定的なようです。彼のマハリシとの会話は、いきいきとしており、たくさんの情報を与えています。(続き)

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 司会のマーヴ・グリフィンは、他のゲストたちの紹介を始めます。みんなTMテクニックを行っている人たちです。

 その中の一人は、「ウォールトン一家」というテレビ番組でウォールトンおばあさんを演じているエレン・コービイです。彼女は、人に安心を与えるしっかりしたおばあさん役としてぴったりの女優です。
「私は数年前に、マハリシの指導するコースに三ヶ月半、参加したことがあります。思い返すと、そのときが私の人生で最もすばらしいときでした。」

 二人目のゲストは、精神科医のハロルド・ブルームフィルド博士です。彼はカリフォルニア州サンディエゴにある心身医学研究所の臨床ディレクターであり、ベストセラーになった「TM:内側のエネルギーの発見とストレスの克服」という本の著者の一人です。
「TMテクニックは、精神医学の成就です。過去七五年間に、精神の健康を向上させるための様々な方法に関して多くの研究が行われてきましたが、それ以上の研究が、最近五年間にTMテクニックの効果に関して行われました。」

 三人目のゲストは、カリフォルニア州議会の上院議員であるアーレン・グレゴリオ氏です。彼は額にくしゃくしゃの髪がかかった、ハンサムな男性です。議員の二期目を務めており、上院の二つの重要な委員会の議長をしています。
「私がTMをしているということは話さない方がよいと、最初、私のスタッフたちは考えました。しかし、これは私にとってとても重要な経験です。私は、みんながそれについて知るべきだと思います。TMを始めて二年半になりますが、TMを欠かしたことは二回しかありません。それをしないではいられないのです。」

 尊敬に値する女優、現役の精神科医、地位を確立した政治家、しかし、この中でいま最も瞑想に熱中しているのは、おそらくマーヴ・グリフィン自身でしょう。
「私はいつもてんてこまいの仕事をしているのですが、電話の受話器をはずして一五分ほど瞑想すると、とても快適になります。瞑想が終わったときには、とても・・・、とても・・・」
「フレッシュに感じます。」
 マハリシがその言葉を与えます。
「そうです。とてもフレッシュに感じます。それがどんなに簡単か、うまく説明できたらよいのですが。」
「それは自然であるから簡単なのです。心は自然に落ち着いていって、リラックスしていて鋭敏な、あの静かなレベルに達します。そして、これは科学からわかることですが、そのレベルは、最少励起の状態、完全な秩序の場です。」

「それはたいへん自然なものです。練習するとか、そういったことは、まったく必要ありません。それで、ますますたくさんの人たちがTMテクニックを楽しんでいるのです。いまでは一〇〇万人以上の人たちがこのテクニックを学びました。それで、『悟りの時代の夜明け』がやってきたと、私たちは言うのです。」(ロバート・オーツ著「マハリシが悟りの時代を告げる」より )

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